バベル
バベル (2006 アメリカ)
原題 BABEL
監督 アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
脚本 ギジェルモ・アリアガ
撮影 ロドリゴ・プリエト
音楽 グスターボ・サンタオラヤ
出演 ブラッド・ピット ケイト・ブランシェット
ガエル・ガルシア・ベルナル
アドリアナ・バラーザ
役所広司 菊地凛子 二階堂智
第79回(2006年)アカデミー賞作曲賞受賞。作品、監督、助演女優(アドリアナ・バラーザ、菊地凛子)、脚本、編集賞ノミネート
日本では、菊地凛子のアカデミー賞助演女優賞ノミネートばかりがとりざたされていますが、作品自体も昨年のカンヌ映画祭以降、何かと話題になっている映画です。ゴールデン・グローブ賞で作品賞受賞(ドラマ部門)、カンヌ映画祭で監督賞、そして第79回アカデミー賞でも作品賞、監督賞を含む6部門7ノミネートと2006年度の各映画賞をにぎわしました。ただメディア人気が先行しすぎている感があり、カンヌではパルムドール、アカデミー賞では作品賞の最有力候補のひとつと評されながら、いずれも受賞にはいたりませんでした。
原題 BABEL
監督 アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
脚本 ギジェルモ・アリアガ
撮影 ロドリゴ・プリエト
音楽 グスターボ・サンタオラヤ
出演 ブラッド・ピット ケイト・ブランシェット
ガエル・ガルシア・ベルナル
アドリアナ・バラーザ
役所広司 菊地凛子 二階堂智
第79回(2006年)アカデミー賞作曲賞受賞。作品、監督、助演女優(アドリアナ・バラーザ、菊地凛子)、脚本、編集賞ノミネート
日本では、菊地凛子のアカデミー賞助演女優賞ノミネートばかりがとりざたされていますが、作品自体も昨年のカンヌ映画祭以降、何かと話題になっている映画です。ゴールデン・グローブ賞で作品賞受賞(ドラマ部門)、カンヌ映画祭で監督賞、そして第79回アカデミー賞でも作品賞、監督賞を含む6部門7ノミネートと2006年度の各映画賞をにぎわしました。ただメディア人気が先行しすぎている感があり、カンヌではパルムドール、アカデミー賞では作品賞の最有力候補のひとつと評されながら、いずれも受賞にはいたりませんでした。
はるか昔、言葉はひとつだった。人間たちは、神に少しでも近づくため天まで届くバベルの塔を建てた。それが神の怒りを買い、言葉をバラバラにしてしまった...。
この旧約聖書の創世記に描かれたバベルの塔の物語が、この映画のテーマを象徴するものとしてタイトルに使われています。
ただし、映画は、言葉のみならず、人ひとりひとりが他人との間に無意識につくっている壁を描いた作品です。とても小さな物語が積み重なっている映画であり、タイトルと映画で描いているテーマが微妙にずれている、言い換えればかなり仰々しい題名がついているともいえます。一発の銃弾をめぐってモロッコ、アメリカ、メキシコ、日本を舞台に物語は展開していくのですが、この作品のテーマを描くために、こんな大掛かりな舞台設定をする必要があったのか?という疑問もわいてきます。また、群集劇の定番として、一見無関係に思えるエピソードがつながっていくのですが無理やりつなげたような感が強く、それほどカタルシスを得ることができません。バベルの塔を作ったことにより、バラバラにされてしまった世界が再び元に戻るようなことはないし(笑)、題名や舞台設定から期待されるスケールの大きな物語でもありません。映画に対して、起承転結がはっきりした物語を求めている人にとっては物足りない仕上がりになっていると言わざるをえません。
それでもこの作品は魅力的です。
大義名分は、政治だったり、法律だったり、言葉だったりさまざまですが、つまるところ人が日常生活を営むにあたって、無意識に作ってしまう心理的な壁が見事が描かれているからです。
よくも悪くもこの映画を代表しているのが日本でのエピソードです。映画の題名から連想される、言葉をうまく操れないことによるコミュニケーションの不毛をわかりやすく表現するためか、主人公を聾唖(ろうあ)者に設定したことに対しては、ある種の抵抗感を感じずにはいられません。ただ、そんな心のもやもやを吹き飛ばしてくれたのが、ヒロインのチエコを演じた菊地凛子の、繊細で確かな演技です。父親ヤスジロー(役所広司)と2人暮らしのチエコ。母親の死による喪失感。誰も自分を抱きしめ、愛してくれないのではという不安が常によぎります。耳が不自由なため、ディスコに行っても音楽を楽しむこともできない。言葉で自分の思いを伝えることもできない。自己表現に悩み、愛情に飢えたチエコ。思春期特有の性衝動も積み重なった結果、チエコは自分の体を露出することによって、他者との関係を築き上げようとする...。単なる露出症ではないかという見方もあるとは思いますが、つもり積もったストレスやジレンマがたまたまそういう方向に吐き出されてしまったと見たほうがいいでしょう。人が精神的に追い詰められると極端な行動に走りがちであることは、昨今のニュース報道の数々がイヤというほど教えてくれます。
この脆く、危うい少女の心の機微を、菊地凛子は動物的本能を体現したとでも言い表したいような入魂の演技で見せてくれます。カンヌ映画祭での映画上映直後から、「アカデミー賞ノミネートは確実」と評判を呼んでいたようですが、受賞に十分値する演技だと思います。ラストシーンにも登場し、まさにこの映画を象徴する役柄だといえるでしょう。
またチエコがあこがれる刑事、ケンジ役を演じた二階堂智の存在感がこの映画に違った色合いを添えています。モロッコからの調査依頼で、あくまで職務としてチエコに接触するケンジ。ところがチエコはケンジを露骨に誘惑してくる...。その後、ケンジが酒場でひとりタバコをふかす場面が印象的です。このケンジという人、刑事にしては人がよすぎる感があり(笑)、出世街道まっしぐらというタイプではなさそうです。おそらく職場でも、さまざまな"心理的な壁"に遭遇しているでしょう。チエコの衝動的な行動が何を意味していたのかもある程度理解できたはず。チエコとケンジの心の糸はほんの一瞬はつながりかえた...。さまざまな思いをめぐらせたケンジの心情を、二階堂智はセリフ無しの1シーンで見事に表現しています。菊池凛子だけでなく、二階堂智も今後注目の俳優のひとりとなっていくでしょう。
ただ、この東京(日本)でのエピソードは他のエピソードとの関連性がもっとも薄く、ここだけが浮き上がっているような印象を受けます。この映画の核となるところだけに少し残念です。
「この世界の中で、聞く価値のある言葉は少ない」といったのは『ピアノ・レッスン』の主人公エイダですが、人々がコミュニケーションをとるとき、言葉によるものはわずか5%程度で残りは表情、身振り手振りなどの非言語表現で成り立っているといいます。だから言葉が無意味というわけではないし、他のボディ・ランゲージをフル活用したところで、自分の内面の全てを伝えることができるわけではない。誰にでも自分にしか理解できない、墓場まで持っていかなければいけない、と決め込んでいる想いがある。だからといって、それをいつまでも引きずり、孤独感に打ちひしがれたままでは生きていけない...。映画『バベル』は、誰の心の中にも潜む、一見小さな、実はとても大きく厄介な、他者との心理的な壁を、エピソードの積み重ねによって見事に描いている作品です。
アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の前作『21グラム』では時間軸をわずかに前後させる演出で、観客に容易な感情移入を許してくれませんでした。この作品でもエピソード内で事件がおこった瞬間、まるでTVドラマのCMタイムのように(笑)次のエピソードに移ってしまいます。アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督は、感情の流れよりも、感情の一瞬のほどばしりを重視するタイプの人なのかもしれません。
透明なボールにペンキを塗ろうとしたら、次々とはじかれてしまった。
そんなイメージの映画です。見た人の数だけ感想がありそうな作品なので、他人の評価を参考にすることはあまり意味がないと思います。よけいな先入観を入れず、まっさらな気持ちでこの映画をご覧いただくことをお勧めします!
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ここに来て、あー、スッキリ(笑)
「無意識に作ってしまう壁」まさにそうでした!見事な作品でしたよね!
改めて思い返すと、二階堂さんのシーンばかりが印象的に残ってます。
これからどんどん出てきそうですよねー。