善き人のためのソナタ
善き人のためのソナタ (2006 ドイツ)
原題 DAS LEBEN DER ANDEREN
(あちら側の人々の生活)
監督 フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
脚本 フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
撮影 ハーゲン・ボグダンスキー
音楽 ガブリエル・ヤレド
出演 ウルリッヒ・ミューエ マルティナ・ゲデック
セバスチャン・コッホ
第79回(2006年)アカデミー賞外国語映画賞受賞
その徹底した監視体制はKGBをもしのぐといわれていた旧東ドイツの秘密警察・諜報機関シュタージ(国家保安省)。このシュタージの恐るべき実態を真っ向から描き出したはじめてのドイツ映画として話題になっているのが今回ご紹介する『善き人のためのソナタ』です。弱冠33歳の新鋭フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク 監督は元シュタージ局員、密告されて職を失った人、拘束・逮捕された人などへのインタビュー等4年間、リサーチを重ねたといいます。※2007年度アカデミー賞外国語映画賞ノミネート等、各映画賞をにぎわし続けています。
※ 記事を書いた2007.2.11現在の記述です。見事受賞しています!
〜物語〜
1984年の東ベルリン。国家保安省職員ヴィーラー大尉(ウルリッヒ・ミューエ)は反体制の疑いをもたれている劇作家ドライマン(セバスチャン・コッホ)と同棲相手の舞台女優クリスタ(マルティナ・ゲデック)を監視するよう命じられる。ドライマンのアパートに盗聴器をしかけ、徹底した監視をはじめるが〜
原題 DAS LEBEN DER ANDEREN
(あちら側の人々の生活)
監督 フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
脚本 フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
撮影 ハーゲン・ボグダンスキー
音楽 ガブリエル・ヤレド
出演 ウルリッヒ・ミューエ マルティナ・ゲデック
セバスチャン・コッホ
第79回(2006年)アカデミー賞外国語映画賞受賞
その徹底した監視体制はKGBをもしのぐといわれていた旧東ドイツの秘密警察・諜報機関シュタージ(国家保安省)。このシュタージの恐るべき実態を真っ向から描き出したはじめてのドイツ映画として話題になっているのが今回ご紹介する『善き人のためのソナタ』です。弱冠33歳の新鋭フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク 監督は元シュタージ局員、密告されて職を失った人、拘束・逮捕された人などへのインタビュー等4年間、リサーチを重ねたといいます。※2007年度アカデミー賞外国語映画賞ノミネート等、各映画賞をにぎわし続けています。
※ 記事を書いた2007.2.11現在の記述です。見事受賞しています!
〜物語〜
1984年の東ベルリン。国家保安省職員ヴィーラー大尉(ウルリッヒ・ミューエ)は反体制の疑いをもたれている劇作家ドライマン(セバスチャン・コッホ)と同棲相手の舞台女優クリスタ(マルティナ・ゲデック)を監視するよう命じられる。ドライマンのアパートに盗聴器をしかけ、徹底した監視をはじめるが〜
映画のタイトルとなっている「善き人のためのソナタ」とはドライマンの友人であり、演出家のイェルスカより誕生日のプレゼントとしてもらったピアノ楽譜のタイトルです。この曲を盗聴したヴィーラーは、その美しさに激しく心を掻き乱され...と宣伝等では紹介されています。「レーニンがベートーベンの情熱のソナタを聴いてしまうと、革命を最期までやりおおせることができないと言った」というセリフが映画に出てきます。ヒトラーがもし画家になる才能があったなら...ということはよく言われますね。
ただ、その部分の感情表現はウルリッヒ・ミューエの微妙な表情の演技で比較的あっさりと流されており、芸術礼賛がメインの映画ではありません。"旧東ドイツの人々がシュタージによって受けた心の傷"を描くことがあくまでもこの映画の主題です。
そのシュタージとは旧東ドイツの国家保安省のこと。
国内の反体制の人々を監視・逮捕する機関として1949年から1989年のベルリンの壁崩壊まで約40年間、絶大な権力をもっていました。一方、海外での諜報活動も積極的に行っていました。※ギヨーム事件はちょっと有名ですね。
※ ギヨーム事件・・・シュタージの一員であるギュンダー・ギヨームが1972年には西ドイツ、ヴィリー・ブラント首相の個人秘書として潜り込んだため西ドイツの政策は東ドイツに筒抜け状態に。1974年にようやくスパイ事実が発覚し、ギヨーム逮捕と共に首相が引責辞任に追い込まれたという衝撃的な事件
シュタージの職員は約10万人、かつIM(インオフィツィエル・ミットアルバイター)と呼ばれる公式協力者は約17万人いたと言われています。IMは正式にはシュタージには属していない民間人のことで、人知れず家族や友人のことをシュタージに密告していました。
反体制分子と目された人々の個人情報記録は東ドイツ崩壊後、本人に限り閲覧ができるようになりました。それによって家族や親友が実はシュタージの協力者であったという事実を知り、家庭崩壊や人間不信に陥り、精神を病む人たちも数多く発生したといいます。映画のラスト近くにもその様子が描き出されています。
主演のウルリッヒ・ミューエ自身も、高校を卒業してからシュタージの厳しい管理下におかれ、ベルリンの壁の越境をみはる兵士という役目を負わされていたそうです。彼が兵士をしている間は運良く、越境する者はおらず、演技の勉強が許され彼は劇団に参加していました。しかし、シュタージ監視時の情報が公開されてから、劇団で親友だと思っていた4人が自分を見張るためだけに入団しており、かつ自分の妻までがシュタージに秘密を流していたことが判明してしまったとか!そんな彼自身のつらい経験が、徐々に人間性を取り戻していくというヴィーラー役の演技に深みをもたらしています。一見無表情に見えますが、眼力がすごいです!
常に何かに縛られているかのような圧力や、緊張感が映画全体に漂っています。
旧東ドイツの人たちは40年もの間、こんな重苦しい空気の中で生活していたことを思うと何ともやりきれない気持ちになります。
「ゲシュタポでは、罪もないおばあさんの顔を心の咎も無く、乱暴に殴りつけることができる人が求められましたが、シュタージの場合はまったく反対のことが求められました。人を心理的に追いつめることのできる人が求められたんです。」フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督は語ります。
この映画の最初、睡眠を与えずに被疑者を追い詰めていく場面が出てきますが、こういうのは良い?お手本なんでしょうね。
ベルリン壁崩壊後、シュタージの実態が判明することによって数多くの人たちが人間不信にさいなまれていた...。そのような状況下において、ほのかな希望の光を照らし出してこの映画は幕を閉じます。
お互い、ほとんど顔を合わせたことのない者どうしがベルリンの壁崩壊後、時を経て、人間に対する信頼を少しずつ取り戻していく。もう誰も信用できないと思い込んでいた暗闇の現実世界に一筋の光が差し込んできた - と表現したいようなとても印象深い場面です。
「ドイツ映画史上、最も素晴らしい作品である」というヴェルナー・ヘルツォーク監督の言葉はこのラストシーンの美しさに対するものでしょう。人間性を抹殺した諜報員のコードナンバーが人間性の回復の象徴として使われているのは何とも皮肉な話ですが...。
『グッバイ、レーニン』(2004)を見たとき、やっぱりベルリンの壁崩壊を物語として語るには最低10年は必要なんだなと感じましたが、いまだに旧東ドイツ国民の傷は癒えておらず、その話題はユーモアを交えてしか語られないのが現実のようです。
「人々はシュタージやそれに関する事件を忘れようとして自らをだましてしまう傾向がある」
と監督はいいます。自分を守るために、恋人や家族までもシュタージに密告し合っていた冷酷な現実を突きつけられてしまえば、無理もない話でしょう。誰もが何かしらの心の傷を抱え続けている...。
旧東ドイツの人たちが人間に対する信頼を取り戻し、過去の悪夢と完全に決別するにはもう少し年月が必要なのかもしれません。この映画のラストシーンのような出来事が彼らの日常生活の中に積み重さなるといいですね。
ネタばれになってしまうのであまり詳しく書きませんが、ラストひとりで街を歩くヴィーラーの姿はカッコイイです。彼のやったことは誰にも理解されないかもしれない。でも自分の心に嘘はつかなかった。悔いはないはずだから。
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8/3 追記
主演のウルリッヒ・ミューエさんは2007年7月22日、胃がんでお亡くなりになりました。
享年54歳。心からご冥福をお祈りいたします。
http://www.afpbb.com/article/entertainment/movie/2259558/1889161
本作品、自由な思想に影響を受けつつも、実直であるヴィースラーの性格を、
芸術家達との間接的な関係で描いていて、とても素晴らしいと思いました。
ラストであのような展開になるとは思っていなかったです。
一気に緊張感が緩み、涙が溢れてしまいました。。。