映画のメモ帳+α

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仮面の米国

仮面の米国(1932 アメリカ)

仮面の米国原題   I AM A FUGITIVE FROM A CHAIN GANG
監督   マーヴィン・ルロイ
原作   R・E・バーンズ
脚本   シェリダン・ギブニー ブラウン・ホームズ
撮影   ソル・ポリト
出演   ポール・ムニ グレンダ・ファレル
      ヘレン・ヴィンソン プレストン・フォスター
      シーラ・テリー アレン・ジェンキンス
      デヴィッド・ランドー バートン・チャーチル

第6回(1932〜1933年)アカデミー賞作品、主演男優(ポール・ムニ)、録音賞ノミネート

仮面の米国』は脱獄映画の草分け的存在である。原題は"I AM A FUGITIVE FROM A CHAIN GANG”("私はChain gang(チェーン・ギャング)からの逃亡者です)。チェーン・ギャングとは囚人たちをひとつの鎖でつないだまま、屋外で肉体労働をさせる見せしめ刑罰のこと。原作はCHAIN GANG経験者であるRobert Elliott Burns。彼は脱獄後、ジョージア州の刑務所での生活と脱走、その後の生活について記したこの手記を出版した。バーンズは映画公開時、まだ逃走中であり、かつアドバイサーとして映画製作に参加していた。映画は大変な反響を呼び、ジョージア州は世間の批判にさらされた。ジョージア州は映画公開から23年後の1955年、チェーン・ギャング制度を廃止している。



物語
ジェームズ・アレン(ポール・ムニ)は第一次大戦を除隊後、出征前の工場で働いていた。だが働きがいのある建築の仕事を求めて故郷を飛び出した。世間は帰還兵に冷たく失業者になった。偶然出会ったピート(プレストン・フォスター)とともにアトランダのカフェに入るが、ビートがその店で強盗し、彼は殺されるがアレンは共犯者として逮捕、10年の懲役をくらう。過酷な環境に耐えかねたアレンは綿密な計画のもとで脱獄に成功。名前を変えて就職し、徐々に成功をおさめていく。下宿屋の女将マリー(グレンダ・ファレル)は彼の素性を知って結婚してくれなければ密告すると脅し、彼と結婚した。だが、アレンにヘレン(ヘレン・ヴィンソン)という別の恋人ができたことを知り、マリーはついに密告。再び刑務所に舞い戻った。既に社会的地位をえていたアレンには支援もあり、90日間模範囚であれば特赦すると言われた。だが刑務所はその約束をはたさず、不当に彼を拘束し続けた。そこでアレンは2度目の脱獄に挑む。

 以下の記事はネタバレしています。未見の方はご注意ください。

主人公が兵役を終えた後、やりがいを求めて家を飛び出す。
いかにも若者らしい負けん気だ。だが現実は厳しく仕事につけない。たまりかねた主人公が軍の勲章を質に入れようとするが、質屋は既に山ほど預けられている"同じような勲章"をみせて追い返してしまう。
実際、第一次世界大戦の帰還兵は大恐慌の影響で仕事にあぶれており、フーバー大統領がボーナスアーミーと呼ばれた退役軍人の恩給支払い要求デモを鎮圧してから1カ月後にこの映画の撮影がはじまっている。

この映画は実話に基づいている。(名前が役名に変わったことを別にして)事実との相違点は、"映画において主人公は強盗の巻き添えをくっただけのように描かれているが、実際バーンスは食べる金ほしさに小額($5.29)の盗みをしている"ことぐらい。

I AM A FUGITIVE FROM A CHAIN GANG 1一つの鎖につながれ炎天下の中、採石をする囚人たち。
汗をぬぐうのでさえ許可がいる有様だ。
この場面の撮影は過酷で、多くのものが眼精疲労、日焼け、火膨れなどに悩まされたが
主演のポール・ムニはボディダブルを使うのを拒否し、全て自分で演じたという。

主人公のアレンが「脱獄を考えたことはないのか」と囚人仲間に聞く。
すると「危険が大きすぎる。犬に追いかけられ、発砲され、あげくのはてには殺される。もし実行するなら念密な計画を立てないとだめだ」という答えが返ってきた。そこでアレンは"念密な計画"を練った。作業中、監視の目を盗んで、自分の脚にかけられた鎖をアレンは腕ききの黒人囚人に斧でたたいてもらった。鎖を弱め、いざというときに外しやすくするためである。一歩間違えると自分の脚が砕けるかもしれない。
スリル満点の場面だ。

そしてチャンスが訪れるのを待った。2分のトイレ休憩をもらってそのすきに足の鎖を外し、逃走。
まもなく気付かれて犬とともに刑務官らが発砲しながら追いかけていく。アレンは沼の中にもぐりこみ、藁を使って息をする。"頭の中でこしらえた脱走物語"ではこういう展開は思いつかないだろう。実話ならではのディテールだ。

I AM A FUGITIVE FROM A CHAIN GANG 2  I AM A FUGITIVE FROM A CHAIN GANG 3

脱走後、散髪屋にいき顔をそってもらう。警官が立ち寄る。脱走犯を見かけなかったか尋ねる。
逃亡者の特徴を述べ、名前はジェームス・アレンだと連呼する
その声をかきけすかのように、アレンは「ホットタオルをくれ」と理髪師に告げ
ホットタオルをもらって顔を隠し、そり残しがあるままで出ていく。

目の前にいるのに、なぜ気付かぬ。
I AM A FUGITIVE FROM A CHAIN GANG 4

その後、偽名を使って就職し、順調に出世していく。だが、幸運はいつまでも続かない。
兄から届いたアレンへの手紙で、下宿屋の女将マリーが彼の素性に気づき、ゆすって結婚をせまった。アレンは何とも言えぬ表情を浮かべる。結婚せざるをえないのだ。マリーはアレンの金を使って他の男らと遊びまくっていたが彼がヘレンという別の女性に熱をあげたのをしり、自分のことは棚にあげてアレンを問い詰める。「お前といるとヘドが出る」ブチ切れたアレンに対し、マリーは逆切れし警察にチクった。あまりに昼メロっぽい物語展開なので、てっきり脚色だと思っていたが、事実だそうだ。オンナって恐ろしい...。

2度目の逮捕は一度目とは状況が全く違う。社会復帰をして真面目に働き、実績をあげてきた彼を再逮捕することに疑念の声もあがった。だが、ヘレンと結婚する前に過去をきちんと清算しておきたかったアレンは、ジョージア州の役人から90日目模範囚でいれば釈放するという申し出を信じ、自発的に刑務所へ舞い戻るのだが...。

案の定、約束は履行されず、彼は2度めの脱走を図る。
この場面は映画のアクション映画としての見どころのひとつ。
囚人仲間の助けをかり、車で逃げる。後を追ってくる刑務官の車。ダイナマイトを投げ込み、橋を破壊する。
そのとき、アレンはこの映画で唯一と言ってもよい笑顔を見せる。

アレンを演じたポール・ムニは実際の逃亡者の歩き方、話し方、"恐怖の臭い"の掴み方を習得するため、バーンスと徹底的に話しあった。映画撮影時、バーンズは脚本のアイデアや台詞などの手助けもしていたというが、何せ現在逃亡中であったため、銃声が聞こえると飛び上がり、パトカーのサイレンが聞こえるとセットの下に隠れたり、壁際にうずくまったりした。周囲は"これは映画での出来事だよ"と彼をなだめなければならなかったという。ポール・ムニはバーンスのそんな姿も"逃亡者の恐怖の臭いの掴み方"の参考にしたのだろうか。

ポール・ムニの役作りはそれだけにとどまらない。刑罰制度に関する書籍や雑誌をよみあさり、カリフォルニア州の刑務官にあい、実際に囚人として働いた。ムニはこの映画の舞台となっているジョージア州の看守か刑務所長にも接触したいと考えていたが、映画会社から止められた。さすが、あのマーロン・ブランドが最も尊敬していたという、名優中の名優、ポール・ムニですね。映画出演は20本強にすぎないのにアカデミー賞ノミネート6回、受賞1回というすさまじさ。メリル・ストリープ並みの高打率です。ムニといえば、『科学者の道』(1936)でパスツール、『ゾラの生涯』(1937)でエミール・ゾラ、『楽聖ショパン』(1945)でユゼフ・エルスネルなど、特殊メイクをほどこし伝記映画によく出ている印象が強い。『大地』(1937)では中国人を演じている。だが、彼の出演作で今なお最も映画ファンの記憶にとどめているのは、ほぼすっぴん(笑)で演じたこの『仮面の米国』とギャング映画の古典『暗黒街の顔役』(ハワード・ホークス監督作。『スカーフェイス』(1983)はこの作品のリメイク)だろう。2本とも1932年の作品。この時期は名優ポール・ムニの絶頂期だったんですね。個人的には『仮面の米国』がポール・ムニのベストだと思う。異常な状況におかれている以外は"普通の人"であるアレンを演じてその実力を見せつけた。

 公に発表されているのは5回であるが、第9回(1936年)での主演男優賞ノミネートが後日認められ、現在の公式記録では6回となっている。くわしい事情はこちら

映画の中ではジョージア州という言葉は用いられていないにも関わらず、ジョージア州でこの映画の上映は禁止され、バーンズ再逮捕の方針は継続。映画会社に対して山ほど訴訟を起こし、マーヴィン・ルロイ監督と映画会社社長ジャック・L・ワーナーはジョージア州への出入りは当分のあいだ禁止された。

映画公開後、バーンスは再び行方をくらました。映画公開後まもなく彼はつかまったが、当時のジョージア州知事が原作と映画の影響を考え彼を送検しなかったという説もあるが定かな証拠がない。1945年にジョージア州知事エリス・アーナルはバーンズは特赦を与え、彼はようやく自由の身となった。その10年後、1955年に63歳でバーンズは亡くなっている。

この映画のあと、特赦されるまでの間バーンスは何をしていたのだろうか。
そこで思い出すのはラスト場面である。
2度めの脱走を図り、恋人ヘレンのもとに別れを告げに来る。
「今からどうやって生きていくの?」
ヘレンは心配そうに尋ねる。

その答えは...(本来、ネタバレしてはいけない箇所なんだけど、既にいろんなところに書かれているから許して!)

"I steal!"(盗む)

おそらくここは脚色だろう。彼がその後、この言葉どおりに生きたのかどうかは今となっては誰にもわからない。

チェーン・ギャングという刑罰システムは主にアメリカの南部で行われていた。バーンスの原作、およびこの映画によって世間にひろく知られるようになったため、徐々に廃止の方向に向かい、1955年ジョージア州が廃止したのが最後となった。1995年、アラバマ州が突然この制度を復活させ物議をかもしたが、わずか1年で取りやめている。

脱獄ものはもはや娯楽映画の1ジャンルといってよいほど多く作られている。物語がつくりやすいためか、名作、傑作と言われているものも少なくない。だが、そんな中において、『仮面の米国』は脱獄映画の草分け的存在であると同時に最高傑作でもある。何の予備知識もなく100%フィクションとして観ても十分楽しめる。娯楽映画としても一級品だ。ポール・ムニの説得力あふれる演技も魅力的。それにまして社会派映画としても一級品。小銭を盗んだだけで10年の懲役となり、チェーン・ギャングという過酷な刑罰を科せられる。映画公開時、まだ逃走中だった犯人がその実態を告発した本作はチェーン・ギャング制度の廃止に大きな役割をはたした。こんな映画は2度と出てこないだろう。日本の"脱獄映画名作10本"みたいな企画でこの映画の名前を見たことがないのは残念。『仮面の米国』なんて意味不明な邦題が観賞意欲をそいでいるのだろうか?『仮面の米国』はぜひ機会をつくって観てほしい、脱獄映画、そして社会派映画の金字塔だ。
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2015.07.04 Saturday | 00:11 | 映画 | comments(0) | trackbacks(0) |

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2019.09.05 Thursday | 00:11 | - | - | - |

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