映画のメモ帳+α

音楽映画、アカデミー賞関連の記事に力を入れています。
ゾンビ、スタートレック、ヒッチコック監督作、ドキュメンタリー映画のカテゴリーもあり。
映画300字レビュー、はじめました。
※TB、コメントともに承認制とさせていただいております

<< 五線譜のラブレター DE-LOVELY | TOP | セッション >>

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)(2014 アメリカ)

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)原題   BIRDMAN OR (THE UNEXPECTED VIRTUE OF IGNORANCE)
監督   アレハンドロ・G・イニャリトゥ
脚本   アレハンドロ・G・イニャリトゥ ニコラス・ヒアコボーネ
      アレクサンダー・ディネラリス・Jr アルマンド・ボー
撮影   エマニュエル・ルベツキ
音楽   アントニオ・サンチェス
出演   マイケル・キートン ザック・ガリフィナーキス
      エドワード・ノートン アンドレア・ライズブロー
      エイミー・ライアン エマ・ストーン
      ナオミ・ワッツ リンゼイ・ダンカン


第87回(2014年)アカデミー賞作品、監督、オリジナル脚本、撮影賞受賞。主演男優(マイケル・キートン)、助演男優(エドワード・ノートン)、助演女優(エマ・ストーン)、音響、音響編集賞ノミネート

かつてハリウッド大作ヒーロー映画で活躍しその後キャリアが低迷したスター俳優。彼は起死回生をかけて、ハリウッドとは正反対に近い価値観がはびこるブロードウェイの舞台で再起をはかるが...『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』はそんな物語だ。監督は『バベル』、『21グラム』のアレハンドロ・G・イニャリトゥ。主演男優マイケル・キートンの実人生をほうふつさせる物語と、1回の長回しでずっと撮り続けているようにみえるカメラワークが評判となり、第87回(2014年)アカデミー作品賞に輝いている。




物語
かつて映画『バードマン』のスーパーヒーロー役で人気を集めたリーガン(マイケル・キートン)。だが、その後の俳優としてのキャリアは低迷。妻シルヴィア(エイミー・ライアン)とも離婚、娘サム(エマ・ストーン)は薬物中毒からのリハビリを終えたばかりと公私ともにさえない。挽回したいリーガンはレイモンド・カーヴァーの『愛について語るときに我々の語ること』を舞台用に脚色し、自ら演出、主演によりブロードウェイに挑戦する暴挙に出た。だが、本番前日、ケガで男優のひとりが降板し、急きょ人気俳優マイク(エドワード・ノートン)を代役に抜擢。だがマイクの傍若無人なふるまいに現場はてんやわんや。リーガンはだんだんと追い詰められていく...

 以下の記事はネタバレしています。未見の方はご注意ください。

本作はアレハンドロ・G・イニャリトゥ監督の"劇場を舞台にしたコメディを1ショットで撮りたい"というアイデアからはじまった。

1ショットで撮ったようにみえる映画で思い出すのはヒッチコックの『ロープ』(1948)。ただし、『ロープ』は舞台が部屋の一室に限定されており、定点観測のような演出だった。一方、『バードマン〜』ではカメラが主人公を追いかけているようにみえる。よくあるドキュメンタリー風映画のように、わざと手ぶれで撮影したりしない。観客が登場人物の後を目で追っているような感覚を自然に醸し出している。台詞だらけの物語にも関わらず、TVドラマもどきの説明的な感じを受けず、"映画"として堪能できるのはこのカメラワークゆえ。撮影は『ゼロ・グラビティ』(2013)の革新的な3D映像でアカデミー撮影賞に輝いたエマニュエル・ルベツキ。本作でも撮影賞を受賞し2年連続の快挙。3D映像と1ショット風の長回し、全く違うタイプの映像をモノにしたエマニュエルの手腕に脱帽!

舞台物の閉鎖的な印象を救っているのはカメラ・ワークだけではない。
ジャズドラマーアントニオ・サンチェスにより時折挿入されるドラム・ソロも、物語にほどよい緊張感を与えている。音楽が物語に溶け込むのではなく、時折スパイスを与える。『死刑台のエレベーター』(1957)のマイルス・デイヴィスをほうふつさせる音楽の使い方だ。





主人公が演じたバードマンの"飛び立つ、羽ばたく"というイメージが映画に奥行きを与えている。このバードマン、主演のマイケル・キートンがかつて演じた『バットマン』にかけたネーミングだろう。実際、主人公に語りかける謎の声(若い頃のバードマンという設定らしい)はバットマン風のしゃがれ声だ。バードマンの"羽ばたく"イメージは、空に飛び立って自分を馬鹿にした奴らを上から見下ろしてやるという主人公の意気込みをも示す。だが、娘のサムが屋上でたたずむ場面などと相まってどこか死をイメージさせる。"羽ばたく"をどうとらえるかによってラスト場面の解釈が変わってくる。

この映画は物語を追うタイプの作品ではない。ハリウッドとブロードウェイの考え方の違いなどについて台詞がぽんぽんと出てくるが、映画ファンにとってはどこかで聞いたよーな主張ばかりで特に目新しい切り口はない。だが、この物語を単なる業界内輪話として片付けるのは間違っている。ハリウッド大作映画で鳴らした主人公が自分の存在を証明するために畑違いのブロードウェイ舞台に臨む。それだけならありがちな話である。だが、ここに"ネット時代"をからませることで現代における"存在の示し方"が昔とは変わってきていることを示唆する。

娘のサムが父リーガンにむかって「パパはtwitterもfacebookもやっていない。今の時代、それでは存在していないと一緒なのよ」とわめきちらす。また、「60年前のレイモンド・カーヴァーの短編小説の舞台化なんて見に来るのは金持ちのオバサンだけ」と父の"時代感覚のなさ"を揶揄する。一方、エドワード・ノートン演じる舞台俳優マイクはプレビューの際、観客に向かって「スマホを捨てろ!」とどなる。旧世代の人間です(笑)。もちろん主人公もこちら側。筆者もこちら...(以下省略)

だが、皮肉なことにこの"古めかしい企画"は、現代風のネットマーケッティングによって、本来意図したものと全く別の形で"存在感"を発揮してしまう。マイクがプレビュー中に勃起してしまった映像、リーガンがパンツ一枚で外を走る場面がyoutubeに投稿され、驚異的な再生回数を記録したことが宣伝となり、舞台は大ヒット。無名の者、忘れ去られた者が脚光をあびる、すなわち存在感を示すためにはネット拡散しかないのだろうか?ありがちな舞台裏物語の中に、現代社会におけるシニカルな視点をしっかり注ぎ込んでいる。

また、マイクがリーガンに向かって「人々が覚えているのはヒーローであって、それを演じた俳優ではない」となじる場面がある。その直後、通りすがりのファンからリーガンだけがサインを求められ...。ヒーローとそれを演じた俳優は別物か、それとも一心同体か?ヒーロー役俳優の"存在価値"をさりげなく問う。まあ、これはどっちもありでしょうね。ちなみにアレハンドロ・G・イニャリトゥ監督は脚本執筆時点ではリーガン役をマイケル・キートンが演じることを想定していない。脚本を書きあげたあと、ふと彼を思い浮かべて出演依頼したそうだ。

舞台公開の前日、演劇界に絶大な影響力をもつ女流評論家タビサ(リンゼイ・ダンカン)が主人公リーガンに以下のことを言い放つ。

「私はプレビューを観ていない。でも明日幕が明けたら、史上最大の酷評を書くわ。私はあなたの舞台を終わらせたいのよ。理由はわかる?私はあなたが属している環境(ハリウッド)が大嫌いなの。特権階級であるかのようにふるまい、自己中心的。甘やかされた子供みたい。本当の芸術を表現するためのトレーニングなど何も受けていない。脚本、演出、主演ひとり3役ですって?舞台はあなたのプロパガンダの場所じゃないの。あなたは俳優じゃない。ただの有名人。息の根を止めてやるわ。」

ハリウッドへの憎悪丸出しですな、怖〜(笑)。日本人の感覚だとピンとこない箇所でもあります。ひとりの評論家ごときにそんな影響力あるの?...実はあるんです。アメリカでの批評家の社会的地位は日本とは比べ物にならないくらい高い。日本のメディアにはびこる映画コメンテーターとかと一緒にしてはいけません。

さて舞台の本番中、とある事件が起こり、エンディングで拍手喝さい。
これをスタンディング・オベーション!?この観客の"知的俗物性"にぞっとしました。
そしてタビサおばちゃんも、映画タイトルにある"THE UNEXPECTED VIRTUE OF IGNORANCE"と評して一応?評価します。ところでこの"THE UNEXPECTED VIRTUE OF IGNORANCE"、邦題では"無知がもたらす予期せぬ奇跡"と訳されていますが、無知というより無学(無技術)といったほうが近いかもしれない。一方、VIRTUEは"奇跡"よりは、素直に"美徳・美点"と訳したほうがしっくりくる。この邦題訳、微妙にニュアンスを変えてしまっているなあ。これが映画のテーマのひとつだと思われるのに...。熟練技術をもつものがその技術を見せびらかすように披露するよりも、そうでないものが必死で模索して表現したもののほうが思わぬ力を出すことがある。本来、芸術表現というのはそういうものではないか?という問いかけが含まれている。もちろん、今まで誰もやったことがないことを表現しようとする人たちの"予期せぬ奇跡"を信じる心情をも示している。1ショット撮影で映画全編を取ろうとして周囲の反対にあったアレハンドロ・G・イニャリトゥ監督の心境もこんな感じだったのだろう。だからこそ、映画のテーマとなりサブタイトルにもなったのだ。

映画『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』は、"好き"、"嫌い"、"泣いた"、"感動した"などの単純な感想ですませられる映画ではないので、twitterなどの"ネット拡散"による絶賛はまずないだろう。そもそもこの作品の魅力を簡潔に言葉で表現するのが難しい。でも優れた映画というのは概してそういうもの。一見単なる業界舞台裏バナシのようにみえて、秀逸なカメラワークや音楽の手助けもあり、はばたくというイメージの二面性(飛翔と死)、ネット社会における存在のあり方、芸術表現における予期せぬ力とは?などのテーマをジェットコースターのように描き出す。特に"1ショット風のカメラワーク"は主人公の意識の流れを上手く伝えており、"こんな映画観たことがない"という感覚を呼び起こす。アカデミー作品賞も大納得の傑作だ。
人気blogランキングこの記事が参考になりましたら左のバナーにクリックお願いします!


2015.04.13 Monday | 21:12 | 映画 | comments(0) | trackbacks(1) |

スポンサーサイト


2017.11.23 Thursday | 21:12 | - | - | - |

コメント

コメントする









この記事のトラックバックURL

http://moviepad.jugem.jp/trackback/680

トラックバック

「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」
芝居を観るのは体力がいる。昔からずっと感じていた事である。LIVE感というのか、生身の人間のパッションがそのまま迫ってきて、こちらの魂が吸い取られていくような。真剣勝負だ、相討ちだ、と、喉元に刃を突きつけられているような。だから、日常生活の他の場面で体力
(ここなつ映画レビュー 2015/05/15 1:48 PM)

▲top