映画のメモ帳+α

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知りすぎていた男

知りすぎていた男(1956 アメリカ)

知りすぎていた男原題   THE MAN WHO KNEW TOO MUCH
監督   アルフレッド・ヒッチコック
原案   チャールズ・ベネット D・B・ウィンダム=リュイス
脚本   ジョン・マイケル・ヘイズ アンガス・マクファイル
撮影   ロバート・バークス
美術   ヘンリー・バムステッド
音楽   バーナード・ハーマン
出演   ジェームズ・スチュワート ドリス・デイ
      ラルフ・トルーマン ダニエル・ジェラン
      クリス・オルセン ブレンダ・デ・バンジー
      キャロリン・ジョーンズ ノエル・ウィルマン

第29回(1956年)アカデミー賞歌曲賞受賞「ケ・セラ・セラ」 レイ・エヴァンス ジェイ・リビングストン Whatever Will Be,Will Be(Que Sera,Sera) 

アルフレッド・ヒッチコック監督作の中で、唯一自作をリメイクしたものがあります。それが『知りすぎていた男』。『暗殺者の家』(1934)のリメイクです。オリジナル同様、サスペンスたっぷりのコンサート場面と、新たに導入されたドリス・デイの歌『ケ・セラ・セラ』が強い印象を残します。




物語
モロッコを旅行していたマッケナ一家は、マラケッシュで知り合ったベルナール(ダニエル・ジェラン)の暗殺場面に出くわしてしまう。彼はに「アンブローズ・チャペル」という謎のメッセージをベン(ジェームズ・スチュワート)に残した。だが、ベンの口を封じるため、彼の息子が、同じく現地で知り合ったドレントン夫婦によって誘拐されてしまう。ベンと妻ジョー(ドリス・デイ)は謎のメッセージを手掛かりにロンドンに向かった。そこでブキャナン警視(ラルフ・トールマン)から、ベルナールは政府要人暗殺計画を探るためマラケッシュに派遣されたフランスのスパイだと知らされる。ベン夫婦はメッセージにことを警視に話すことができず、自力で息子を救おうと、暗殺計画の拠点と思われる教会に向かうが...

Marrakech、神秘な星。モロッコの果ての空♪
いきなり失礼しました。この映画とは全然関係ありません。
さて...(汗)この『知りすぎていた男』は前述のとおり、『暗殺者の家』のリメイクなんですが、脚本のジョン・マイケル・ヘイズは事前に『暗殺者の家』を見せてもらえなかったとか!昔の作品をお手軽にDVDで見られる時代じゃなかったですからね。話の大枠だけを聞かされて脚本を書いた模様。ヒッチコックはこの2作について"『暗殺者の家』は若干腕の立つアマチュアの作品。『知りすぎていた男』は実力を兼ね備えたプロの作品"と語っていますが...。

クオリティ面でどちらが上か、はおいといて、個人的には『暗殺者の家』のほうが好みです。もしかして少数派?
『暗殺者の家』はピーター・ローレという強烈な悪役がいたし、シドニー街の銃撃戦をほうふつさせるラストの映像もよかった。また、暗殺計画のアジトも教会よりはカルト集団のたまり場のほうが怪しげでいい(笑)。でもこの2作、どちらが後世まで残るかと言うと『知りすぎていた男』のほうでしょうね、こっちのほうがいろいろと派手♪

まず、主演が2大スター、ジェームズ・スチュワートドリス・デイ。ジェームズ・スチュワートは3本目のヒッチ作品ですが、彼はヒッチコックと仲が良く、脚本ができる前から既に出演を承諾していた。トリュフォーが「ジェームズ・スチュワートとケイリー・グラントは個性が似ていて、取り換え可能な役者だと思いますが、しいていうなら、あなたはよりエモーションを強調したいときにはジェームズ・スチュワート、よりユーモアを出したいときにはケイリー・グラントを使っているように思えるのですが」とヒッチコックに尋ねると、ヒッチは「全くその通り。『知りすぎていた男』の主人公の誠実な感じはケイリー・グラントには出せない」と語っている。この作品でのジェームズ・スチュワートは彼が出演したヒッチ映画4作のうち、もっとも彼らしい役だと思います。人気歌手ドリス・デイの起用は周囲の反対を押し切って、ヒッチコックが決めたようです。ドリス・デイってどうみてもヒッチ好みじゃないんだけど...。ヒッチコックも映画会社もドリス・デイのために新曲をつくったほうがいいと考え、出来た曲が「ケ・セラ・セラ」。作詞作曲者であるレイ・エヴァンスジェイ・リビングストンは曲をつくるにあたってヒッチコックから特に指示はなかったそうですが...。ほんまかいな。曲を聞いたヒッチコックは「これぞ私が欲しかった曲だ」と語ったそうです。そうでしょうね、映画にどんぴしゃり!

この映画の音楽はバーナード・ハーマン
コンサート場面を際立たせるために、他の場面で音楽は極力抑えたものにするように指示されていたとか...。
冒頭、ベン夫婦とフランス人スパイ、ベルナールがただ会っているだけなのに妙に不気味なスコアが使われていましたね。そのコンサート場面ではオリジナルと同じ曲が使われています。バーナード・ハーマンはヒッチコックから"オリジナルの曲を書き下ろしてもよい"と言われていたらしいですが、ハーマンが"オリジナルは完璧で、あれ以上の曲は作らない"と判断した。これは正解と思う反面、バーナード・ハーマンのオリジナル曲を聞いてみたかった気もする...。

このコンサートの看板。ロンドン交響楽団の指揮者、バーナード・ハーマンになってる!
知りすぎていた男 看板

さて、コンサート場面です。
恥ずかしながら、私め、大昔にこの映画見たあと、コンサート場面とドリス・セラの「ケ・セラ・セラ」しか覚えておらず、このコンサート場面でドリス・デイが「ケ・セラ・セラ」を歌ったと勝手に脳内変換しておりました。あの状況でどうやって歌う!?(笑)

そのオーケストラ場面、『知りすぎていた男』では『暗殺者の家』以上にじらすじらす。
でも.『暗殺者の家』のほうが正直いってサスペンス性が高かったように感じる。あとシンバルの音が銃撃の合図というくだり、オリジナルではちゃんとストーリー上で説明がされていた。『知りすぎていた男』では明確な説明はないかわりに、冒頭に"シンバルの音がどーのこーの...”というほのめかしがあり、やたらシンバルのクローズアップが出てくる。絵で語る、より映画的な表現...なんでしょうけど、このケースは直前に言葉で説明しておいたほうが親切だと思います。

知りすぎていた男 コンサート2
知りすぎていた男 コンサート1

『知りすぎていた男』好きな映画なのに文句ばっかり書いてる(^^; この映画で一番好きなのはラストの「ケ・セラ・セラ」。ドリス・デイが冒頭、子供に聞かせて歌うときは牧歌的な歌。ラストでは上の階に幽閉されているはずの息子に声が届くように、力の限り声を張り上げて歌う。

知りすぎた男 ドリス・デイ ケ・セラ・セラ

Que sera, sera
Whatever will be, will be
The future's not ours to see
Que sera, sera
What will be, will be

ケ・セラ・セラ
なるようになる
未来のことなんて誰もわからない
ケ・セラ・セラ
なるようになる

一見、お花畑なこの歌詞がラスト、かなり切実な意味をもって響いてくる。
同じ映画内で状況、歌い方によってひとつの歌がこんなにも違って聞こえるのが面白い。
ラストまでのドリス・デイの役は"弱い女"で感情的すぎると思っていたが、だからこそこの場面が活きる!ヒッチコック映画出演はこの1作だけなのに、しっかり爪跡を残したドリス・デイはさすがです。

「ケ・セラ・セラ」はアメリカでヒットチャート2位までかけあがる大ヒット。アカデミー賞歌曲賞も受賞。当然ですね。独立した曲としてすぐれているだけでなく、(最後にイメージソングのように流れるのではなく)物語の重要な要素として使われてますから。この曲、今ではスタンダード・ナンバーとなっているので、ドリス・デイ、もしくは『知りすぎていた男』は知らなくても「ケ・セラ・セラ」は聞いたことある!という人も多いと思います。



ヒッチコック カメオ出演場面「知りすぎていた男」でのヒッチコック・カメオ出演場面!

知りすぎていた男 ヒッチコック カメオ

0:25 モロッコの市場にて曲芸を見物。左端手前にいるハゲたオッサン


『知りすぎていた男』の見所はやっぱりオーケストラ場面と「ケ・セラ・セラ」。アーヴィング・バーリンなどの有名作曲家に頼らずにスタンダード曲を生みだしたのは見事。さほど人気の高い映画ではないですが、唯一のリメイクでもあるし、ヒッチコックを語るうえで絶対に外せない作品です。
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1000 Frames of The Man Who Knew Too Much (1956)

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2017.11.24 Friday | 00:24 | - | - | - |

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