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スター・トレック(1979)

スター・トレック(1979 アメリカ)

スター・トレック(1979)原題   STAR TREK-THE MOTION PICTURE
監督   ロバート・ワイズ
原案   アラン・ディーン・フォスター
脚本   ハロルド・リヴィングストン
撮影   リチャード・H・クライン
特撮   ダグラス・トランブル ジョン・ダイクストラ リチャード・ユリシック
音楽   ジェリー・ゴールドスミス
出演   ウィリアム・シャトナー レナード・ニモイ デフォレスト・ケリー
      パーシス・カンバッタ スティーヴン・コリンズ ジェームズ・ドゥーアン
      ジョージ・タケイ ニシェル・ニコルス ウォルター・コーニッグ
      メイジェル・バレット グレイス・リー・ホイットニー マーク・レナード

第52回(1979年)アカデミー賞美術、作曲、視覚効果賞ノミネート

1966年よりはじまったテレビドラマ『宇宙大作戦』は、1969年3シリーズめで終了した。その直後から映画化の企画が持ち上がっていた。1970年代に入り、再放送により人気が拡大。それを受けてスター・トレック発案者のジーン・ロッデンベリーがパラマウント映画に働きかけ,1975年に映画化が決定した。だが、スタジオが脚本の出来に満足せず、企画はテレビシリーズ『スタートレック:フェイズII』に移った。脚本は12話まで進んでいたが、スポック役のレナード・ニモイが舞台出演中のため、キャスティングできず副官は新キャラクター、ゾーンとなっていた。だが、『スター・ウォーズ』(1977)、『未知との遭遇』(1977)などSF大作映画のヒットを受け、企画は再び映画に舞い戻った。だが、映画化最大の"売り"となる視覚効果に手間取り、急遽、『未知との遭遇』のダグラス・トランブルと『スター・ウォーズ』のジョン・ダイクストラをスタッフに迎え、プレミア上映前日まで作業をするぎりぎりの状態で完成させた。映画版『スター・トレック』第一弾は1979年12月7日に全米公開。興行的には大ヒットと呼べる結果だったが、製作費が100億円と、当時としては膨大な金額に膨れ上がったため、収益は出なかったと言われている。



物語
23世紀 帝国の領域内をパトロールしていたグリンゴン帝国戦艦が雲状のエイリアンに襲われ破壊された。エイリアンは地球に向かってくる。スター・フリート司令部では雲上エイリアン狙撃をエンタープライズ号に下す。位置的に狙撃可能なのはエンタープライズだけだったのだ。カーク(ウィリアム・シャトナー)は提督に昇進し、地上勤務になっていたが、この危機を乗り切れるのは自分しかいない、とエンタープライズ艦長に復帰。だが、カークは艦長の座を奪われたデッカー(スティーブン・コリンズ)とことごとく対立する。ナビゲーターとして、デルタ星人アイリーア中尉(パーシス・カンバータ)が送り込まれた。デッカーは以前、デルタ星に勤務しており、アイリーアと特別な関係にあった。カークの復帰に伴い、主任船医マッコイ(デフォレスト・ケリー)も呼び寄せられる。エンタープライズ号が出艦してまもなく、突然スポック(レナード・ニモイ)が戻ってくる。やがて、雲上のエイリアンは巨大なエネルギーから発せられる知能であることを感知。エンタープライズ号は友好信号を送ったが、エイリアンは攻撃をしかけてきた。スポックが敵からの信号を感知したうえで、有効信号を送ったところ、2度目の攻撃は避けられた。だが、エンタープライズ号が雲の中に侵入したときに、プラズマエネルギーの渦がエンタープライズ号内に出現し、アイリーアをさらって姿を消す。しばらくしてアイリーアは戻ってくるが、それはエイリアンによって複製されたブローブ(探査隊)たるアンドロイドだった。アンドロイドから、エイリアン雲の中にヴィジャーという名の存在があり、ヴィジャーは自らの作りだした創造者(クリエイター)を探し、創造者と合体したいと考えていることを知る。

「スター・トレック」シリーズを語るとき、どの切り口から攻めるべきか迷うところでありますが、トリヴィアっぽいことなら研究本とかwikiとかいっぱいあるし、年季の入ったトレッキーさんたちにはとても太刀打ちできそうにないので、当サイトではオーソドックスにストーリーを追いながら、チャチャを入れるスタイルをとりたいと思います。筆者にトレッキーと呼べるほど年季も知識もないことを最初にお断りしておきます。

最初、エイリアン攻撃の場面が終わったとき、怪しげなスポックがいきなり登場。ああ、スポックだ!スター・トレックだ!と安堵した人も多いんでしょうね。前述のとおり、一時ドラマ化が決まったときスポックはいなかったし、映画出演に対しても、レナード・ニモイはロイヤリティが支払われていないことを理由に難色を示していたと言われてましたから。監督に決まったロバート・ワイズの家族の誰かが(妻とか娘とか...いくつかのパターンを観ましたが)熱心なトレッキーで、"スポック抜きのスター・トレックなんてありえない!"と直訴したことから、ニモイの説得にあたりました。ロイヤリティの支払いと脚本のチェック権まで与える厚待遇でようやくニモイを口説き落とし、スポックの出演が実現しました。やっぱり、スポックがいないとスター・トレックって感じじゃないですよね!

スポックはバルカン星人に成りきるため、修行を積んでいる場面が出てきます。

わが祖先は動物的感情を駆逐した(our ancestors cast out their animal passoins on these very sands...)
コリナーへの到達でわが民族は救われた(saving our race the attainment of kolinahar)

ちなみにコリナー(Kolinahr)とは感情に支配されない境地(through which all emotion is renounced and shed)だそうです。

そしてスポック様はバルカンの女祭司から「論理の象徴(symbol of pure logic)を授かろうとします。
その直前、スポックは悩み、象徴のネックレスを手でさえぎるのです

「宇宙からの呼び声にお前の人間の血が騒ぐ。わが同士ではない」
オバハンに一括されるスポック。スポックが論理の化け物に成り損ねた場面です、くっくっく。

スター・トレックの人気は"大人の鑑賞に堪える人間ドラマ"だと言われていますが、人間社会のスケールの小ささまで描写してくれるのでちょっと困ります。カークは提督に昇進し、地上勤務になっていたにもかかわらず、「この危機を乗り切れるのは経験豊富なワタシしかいない」と現場に乗り込む。"経験"を糧に若手の芽をつぶす困ったオジサンになっています。

改装されたエンタープライズ号に乗り込むカーク。心なしか目がうるんでいるように見えるような見えないような...ウィリアム・シャトナーの演技が下手なおかげでひどく感傷的な場面になり下がるのを避けられました。乗り込むやいなや,改装されたからわからないところも多いはずなのに「案内はいらん」と見栄をはるカークさん。全く...ふう。彼のおかげで副長に格下げされてしまったデッカーですが、これもTVシリースの時に用意されていたキャラクター。シャトナーがシリーズの継続が難しくなるほど法外なギャラを要求してきたため、13話以降、カークを引っ込めて新キャラ、デッカーでいく予定があったとか。この辺りのエピソードが映画版に反映されたのかな?

ドクターも、ぶうたらこきながらエンタープライズ号に復帰。いざ、出陣!

エンタープライズ号がワープ中にワームホールに突入するトラブルに巻き込まれます。(ワームホール内ではワープはできない)
ワームホールの前方に小隕石があり、このままでは衝突してしまう。   
カークは勇ましく「フェイザー発射」を指示しますが、たまりかねたデッカーは「光子魚雷発射」に命令変更。(光子魚雷はフェイザーと違い、ワープ速度で飛ぶためワープ中でも使用可能)魚雷は小隕石に当たり、衝突の危機を回避、ワープホールは消滅します。デッカーは「新型エンタープライズのフェイザーはエネルギーをワープエンジンと共用している」ことをカークに教え、カークの命令を実行した場合、フェイザーが発射されなかっ た可能性をほのめかします。若者が正しかったのです。2年半のブランクゆえ、カークは判断ミス。冷たい雰囲気が艦内をかけめぐります。

デッカーを呼びつけるカーク。やばいと思ったドクターはついていきます。
カークはデッカーに対し「私と競う気か」とすごみましたが、失敗したため、それ以上強く出ることができず、
「私を補佐してくれ」にトーンダウンします。

ドクターは
「彼が正しい。競っているのは君だ。エンタープライズを取り戻そうとしている」
任務執行の判断を誤らせる執念だ
ここぞとばかりカークを攻め立てます。

そんな空気をよそに、スポックが黒装束のような衣装に身をつつみ、突然乗り込んでくる。単なる不審者です。
スポックはデッカーから科学主任の座を奪い取るが、デッカーは「最適な方です」とにこやかに対応。
オヤジと若者のバトルは双方から信頼されるスポックの登場でトーンダウンです。

スポックは皆から歓迎の声を受けても何の感情も示さない。
そんな態度に
ドクター「相変わらず社交的だ」
スポック「相変わらず的外れの見解の持ち主だ」
嫌みバトルを繰り広げます。

カークはスポックに「君が必要だ」と愛の告白をしますが、スポックは「双方の利益のためです」とそっけない。
それでも愛されるのがスポック。罪なお方です。

一方、人気者のスポックが愛を注ぐのが、敵である雲上のエイリアン!
そこに潜んでいると思われる知能に対し、「感情はない 100%論理で成り立っているはず」と、バルカン星で自分がはたせなかった憧れをエイリアンにぶつけます。

アイリーアが連れ去られたり、戻ったりして忙しいです。
最初から坊主頭という奇妙な設定。こんなことだろーと思っていました。

「私はエンタープライズに寄生する炭素ユニットを調査する為にヴィジャーにプログラムされてきた。カーク・ユニット協力しなさい!」

人間を炭素ユニットと呼ぶ、この感覚、妙に好き!でも、デッカーにはデッカー・ユニットとは呼ばないのです。アイリーアのあらゆる知覚がプログラムされているから!?カーク・ユニットを指名してきたにもかかわらず、デッカー・ユニットをつけ、探測機を利用してこの危機を乗り切ろうとします。

ヴィジャーは自らを造り出した創造者(クリエイター)を捜し、一体になろうとしているという。
ヴィジャーにとって創造者とは、人間にとっての神に匹敵する存在なのか?

探測機によると"調査が終われば、ユニットを全部抹殺する"そうです。
"真の生命は創造者とそれに類する者だけだ。それ以外は寄生者として抹殺"
もろにカルト集団っぽい考え方(笑)

探測機は「ヴィジャーに必要な情報を提供しろ」と繰り返しいう。
創造者(=神)との距離は情報で埋められるものではない。
もちろん、論理で埋められるものでもない。

探測機は叫ぶ。
「創造者はなぜ応えない!」
「なぜ神は沈黙するのですか?」と同じ論理ですね。

一方、エイリアンに存在している知能に片思いを寄せるスポックは暴走し、勝手に調査に乗り出します。
あっさり送り返されたスポックは「ヴィジャーは生きる機械だった。つまらん。」と吐き捨てた後
「希望もなく答えもない。自分はこれだけの存在か、と問い続けているよ、」と...。
愚かな人間そのものじゃん(爆)

スポックはヴィジャーにヴィジャーは以前の私に似ているといいだす。
むなしさゆえに求め、論理では満たされない。”
誰でも父や兄や神を求め、自分の存在価値を問いただしたくなる。”
これがこの映画のテーマ?

結局、カークたちはエイリアンの内部に入り、ヴィジャーと直接対面をすることで事態を打開しようとします。
何とヴィジャーの正体は、かつて地球から打ち上げられ、遭難したボイジャー6号だった!(もちろん、これは架空の設定。ボイジャーのゴールデンレコードの表紙の一部がヴィジャー (V'ger) の一部として使われた、らしいですが。デザインのこと?何か意味よくわかりません)

スポックによるとヴィジャーは
「創造者とは異次元の生命体だ。理論上は存在しないのでヴィジャーは迷っている」
するとカークは「進化に必要なのは人間の特性。論理を超えた能力だ。」とこじつけた後
創造者を求め続けるヴィジャーをおとなしくさせるため
カークはヴィジャーに対し、「創造者は私たち(=人間)だ」と語りかけます。
探索機は「お前たちは真の生命体ではない」と主張するのですが、カークはおかまいなし。

そこで、デッカーは自ら生贄となることを名乗り出ます。
「あなた(カーク)がエンタープライズを求めたのと同じ理由です。私にやらせてください」
何が同じ理由なの?何かの執念?

ドクター「機械が人間と合体できるのか?
うーん、訳のわからん方向性になってきてます。

デッカーを創造者に見立てて、生贄として差し出し、ヴィジャーと合体させます。
機械が人間(創造者)と合体したらどうなるか?
神と人間が合体したらどうなるか?のメタファーでしょうか?
方向性は完全にトンデモ映画のソレです。

機械と人間が合体したらこうなるそーです。
STAR TREK-THE MOTION PICTURE 1

STAR TREK-THE MOTION PICTURE 2

カーク「新しい生命の誕生か?」
スポック「そうです。来るべき我々の進化を暗示しています。」
カーク「そうかな」
ドクター「久しぶりに生命の誕生をみた。幸せに育つといいな」
カーク「そうだな。人間の弱さを克服し、目的を持ち強く生きるだろう」
ドクター「愚かな人間感情は持ち続けるかな」
スポック「不幸なことにそれに悩まされるでしょう」

スポック「バルカンに戻る必要はない。勤めは終わった」
スポックは結局、バルカンで愚かな人間感情に悩まされる運命にあることを学び、それで勤めが終わったことにしたのでしょうか?
うーん、「スター・トレック」シリーズってスポックをいじることによって、論理と感情がどーのこーの、と持っていくのはよくあるパターンなので第1作からその定番パターンを使われるとどうもね...。

エンタープライスに戻った後、カークは
「犠牲者は2人。アイリーア中尉とデッカー"艦長"だ。」
最後まで、小市民的なイヤミをかますカークさん!(爆)

「ああ、犠牲者ではない。行方不明だ。」そうです。
結局、人間にとって神は永遠に行方不明とでもいいたいのでしょうか

劇場版「スター・トレック」は批評家の評判は今イチ。"TVシリーズの持ち味を残しつつ、映画ならではの映像を見せた"、という評もありますが、"トレッキー向けの作品。それ以外は苦痛な長さ"(今の基準だと2時間12分ってそれほど長くもないのですが...当時としては、でしょうね)、"映画の長尺を持たせるには物語が薄っぺらい"(もっと薄っぺらい映画は山ほどありますか。元がTVシリーズゆえの偏見まじりか)という声も多いようです。

監督のロバート・ワイズは「2001年宇宙の旅」のような作品を目指したそうですが...(以下省略)。独自の世界観をもつスター・トレックには、"作家性が強く、自分の色に染めようとしがちな"有名監督を起用すると上手くいかないということが証明されてしまいました。ちなみにこの映画では新コスチュームが採用されていますが、あまりに評判が悪くこれ1回きりで終わり。また、ファンの間からはTVエピソード"超小型宇宙船ノーマッドの謎"とストーリーが酷似しているという指摘がなされています。

この作品がスター・トレックのファン拡大を妨げているという辛辣な評もあります。
TVシリーズを観ていない人が最初にスター・トレックを手にとるとしたら、入口となるのは映画版第1作。
ところが、これが”やたら小難しく、かつ宇宙戦争もなく話し合いで解決する"物語であることから
スター・ウォーズのような派手なドンパチを期待した人は
スター・トレックってつまんない、もう観るのや〜めた!となるというのです。
当作への酷評の大部分は"SF映画は派手な宇宙戦争こそ見どころ"という思い込みの強い人によるものですからね。
その一方、次作以降は映画というよりTVドラマっぽい作りに戻ってしまったという批判もあります。また、当作の不評により創始者ジーン・ロッデンベリーはプロデューサーからコンサルタントに格下げされ、以降において映画製作に関する発言権がなくなってしまいました。それがどの程度作品内容に影響したかはよくわかりませんが...。

個人的にはこの作品、前半のキャスト顔見せ興行がうっとうしい以外は割と好きなんですけど...。
スター・トレックは基本的に会話劇で、ストーリーがわかりにくく、かつ上記のとおり、ところどころ?が出てくるので1回観ただけじゃ、魅力がわかりにくいのは確か。(まあ、これはTVシリーズにも言えることですが)映画となった場合、こういう評が出るのも仕方ないかもしれません。
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2017.11.21 Tuesday | 22:19 | - | - | - |

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