映画のメモ帳+α

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ダイアリー・オブ・ザ・デッド

ダイアリー・オブ・ザ・デッド(2007 アメリカ)

ダイアリー・オブ・ザ・デッド原題   DIARY OF THE DEAD
監督   ジョージ・A・ロメロ
脚本   ジョージ・A・ロメロ
撮影   アダム・スウィカ
編集   マイケル・ドハティ
音楽   ノーマン・オレンスタイン
出演   ミシェル・モーガン ジョシュ・クローズ
      ショーン・ロバーツ エイミー・ラロンド
      ジョー・ディニコル スコット・ウェントワース
      フィリップ・リッチョ クリス・ヴァイオレット
      タチアナ・マズラニー アラン・ヴァン・スプラング

ゾンビ映画の巨匠ジョージ・A・ロメロ監督は冗談めかしてこんなことを言った。
「私はホラー映画界のマイケル・ムーアかもしれない」
確かにロメロは過去のゾンビ映画において、何らかの社会問題をバックボーンにした物語を生みだしてきた。
ロメロ5作目のゾンビ映画『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』のテーマはメディア、そしてyoutubeなどの動画サイトに映像を投稿することで
誰でも映像発信者になれる超情報化社会である。

物語
ペンシルバニアの山奥で、ピッツバーグ大学映画学科の学生ジェイソン・クリード(ジョシュ・クローズ)は仲間たちと卒業製作映画を撮影中だった。ジェイソンはドキュメンタリー映画を志していたが、卒業制作に選んだのはなぜかホラー映画だった。夜間撮影中、世界中で死体が蘇り人間を襲い始めるニュースをラジオで耳にした。メディアの情報は混乱気味で学生たちは当惑。撮影を切り上げ、帰宅することにする。帰路途中で、甦った死体が人間を襲う場面に遭遇したことをきっかけに、ジェイソンは恋人デブラ(ミシェル・モーガン)の反対を押し切り、この異様な状況をビデオ撮影することを決意する。マスコミは"事態は沈静化しつつある"という虚偽報道を流し続けるが、その一方、動画投稿サイトでは衝撃的な映像が次々公開されていった。ジェイソンは事実を伝えることで人々が生き残り術を学ぶことができると主張するが....



確かに、ロメロ映画の物語は社会派フレヴァーがまき散らされている。
それゆえ、物語に厚みが加わり、他のゾンビ映画とは一線を画しているように見える。
だが、問題は彼のファンがはたしてそれを望んでいるのか...?
ロメロ映画のファンは、彼が作り出す社会派タッチの物語を待ち望んでいるわけではない。
彼が描き出す"ゾンビ"をみたいだけなのだ。
ロメロ自身もそのことはよく自覚しているようで「私は前作『ランド・オフ・ザ・デッド』にはとても満足している。だが、ファンが不満をもっているのもわかっている。」というコメントをしている。

ロメロは一時期、脱ホラー映画を試みたがうまくいかず、ホラー映画に戻り、結局は"一番の得意分野"ゾンビ映画に戻ってきた。ゾンビ映画の枠内で現代の諸問題を扱おうと割り切ったかのようだ。「ランド〜」は物語に趣を置きすぎて、映画の中でのゾンビは時折表れて登場人物を脅かすだけの脇役になっていた。この「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」では監督のジェイソンと彼に批判的な恋人デブラの主張の違いばかりが目につき、ゾンビの存在感が薄い。

学生に追随しているアンドリュー教授はジェイソンに向かって
「いつの時代にも君のような奴はいる。でもそれは残虐性の記録にすぎない。戦争時は、敵はクソ野郎という大義名分のもと、敵への残虐行為が正当化されてしまったんだ」

従軍経験があるらしい教授はジェイソンの撮影動機が「生存法を教えたい」とか「世界を救いたい」とか大それたもののではなく、自分の中に潜む残虐行為への渇望を満たすためにすぎないことを見抜いている。

そしてジェイソンが死んだあと、デブラは彼が残していた映像を観て唖然とする。
やはり彼は残虐行為を記録して楽しんでいたにすぎない...。ラスト場面はロメロが脚本を手掛け、従軍経験のあるトム・ザヴァーニが監督をつとめた「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド/死霊創世紀」(1990)と重なる。

映画冒頭で、ジェイソンの仕事を引き継いだデブラが「私たちの過ちを繰り返さないでほしい」と語るナレーションが流れる。
残虐行為の記録を"ジャーナリズム"と称するのはまやかしだと言っているのだ。

誰もが、手軽に"映像ジャーナリスト"になれる時代。
そんな時代がもたらすものは、有意義な情報の氾濫ではなく、誰もが情報発信者,いいかえれば傍観者"のみ"になり
情報を受け止め、善後策を考える"情報活用者"がいなくなる可能性を危惧しているかのようだ。
メディアが流す"虚偽情報"を正すという効果はあるかもしれない。
だが、情報を垂れ流すだけでは、単なる発信者の自己満足にすぎないよ、と...。

これだけの"考える材料"をくれた「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」は"有意義な映画"なのかもしれない。だが、ホラー映画では架空の物語を通して作り手も観客も”自分の中の恐怖、残虐性への欲求"を満たしている。ロメロだって今の時代の若者なら、ビデオカメラを廻して動画サイトに投稿していたのではないか....そう、考えると「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」に貫かれたシニカルな視線にどうしても抵抗感を覚える。

個人的には社会派エンターティメント映画なるものを信用していない。
映画において、社会問題をとことん追及していけば娯楽性はそぎ落とさざるをえなくなる。
娯楽性を追求していけば、社会問題なんて無駄な要素は削らざるをえなくなる。

マイケル・ムーアは娯楽映画を撮りたいわけではない。
メッセージをわかりやすく伝えるための手段として笑いを入れているだけだ。

ロメロはメッセージを伝えるための手段としてゾンビを使っているのだろうか?
おそらく違う。"単なるゾンビ映画"に観られたくない、という虚栄心にすぎない。
この映画の主人公の"ドキュメンタリー作家を志していたのに、卒業制作に選んだのはホラー映画"というパターンはまさにロメロの状況そのものではないか?ロメロはホラー映画界のマイケル・ムーアではない。ホラーという娯楽映画ジャンルにマイケル・ムーアが出てくる余地はない。

「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」はゾンビ映画としても、社会派映画としても中途半端な仕上がり。
それなりに見ごたえはあるものの、結局もやもやしか残らない映画だ。
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2013.06.09 Sunday | 00:22 | ゾンビ映画 | comments(0) | trackbacks(0) |

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2017.05.25 Thursday | 00:22 | - | - | - |

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