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サイコ (1960)

サイコ(1960 アメリカ)

サイコ(1960)原題   PSYCHO
監督   アルフレッド・ヒッチコック
原作   ロバート・ブロック
脚本   ジョセフ・ステファノ
撮影   ジョン・L・ラッセル
音楽   バーナード・ハーマン
出演   アンソニー・パーキンス ジャネット・リー
      ジョン・ギャヴィン ヴェラ・マイルズ
      マーティン・バルサム サイモン・オークランド
      ジョン・マッキンタイア ジョン・アンダーソン
      パトリシア・ヒッチコック

第33回(1960年)アカデミー賞監督、助演女優(ジャネット・リー)、撮影(白黒)、美術監督・装置賞(白黒)ノミネート

はじめてみたヒッチコック映画は「サイコ」...。そんな人も多いだろう。
「サイコ」が面白かったので他のヒッチコック映画も観てみると、あることに気づく。
「サイコ」は最もヒッチコックらしい映画であるとともにヒッチコックの中では例外的な作品である、と。
サスペンス映画の巨匠アルフレッド・ヒッチコックにして、ショッカー(怖がらせることに徹した映画)は、ほぼ「サイコ」だけなのだ。

 以下の記事は映画を既にご覧になっているという前提で書かれています。したがってネタバレ全開です。未見の方はご注意を!また、レビューというよりトリビア集に近い内容です。主に「アルフレッド・ヒッチコック&ザ・メイキング・オブ・サイコ 」やDVDコメンタリーなどを参考にしています。

〜物語〜
アリゾナ州ファーベルの不動産会社に勤めるマリオン・クレーン(ジャネット・リー)は、隣町で雑貨屋を経営しているサムス(ジョン・ギャビン)と交際していた。マリオンは結婚を望んでいたが、サムは父の借金や離婚した妻への多額の慰謝料など経済的事情により躊躇していた。ある日、マリオンは客から預かった4万ドルの現金を銀行に預けに行くふりをして横領し、車で逃亡した。マリオンは郊外にあるモーテルに止まった。経営者の青年ノーマン・ベイツ(アンソニー・パーキンス)から食事に誘われた。彼は母親の影響を強く受けていた人物だった。マリオンがシャワーを浴びていると....会社では銀行に4万ドルが入っていないのを知って、私立探偵アボガスト(マーティン・バスサム)がマリオンの行方を調査していた。マリオンの妹ライラ(ヴェラ・マイルズ)は姉がいると思いサムの店を訪ねる。そこにアボガストもやってくる。アボガストはマリオンがモーテルにとまったことをつきとめ、ベイツを追求するが話が矛盾だらけ。彼の母親に会って話を聞こうと、その旨をライラに電話で報告した後、アボガストは母親のすむ家に出かけるが....

ここではまず、公開50周年を記念して造られた予告編をご紹介。ほぼ完全にネタバレです。



見えない効果 細かいディテール

「サイコ」は映像、音、カメラワーク、細かいディテールの積み重ねで怖さが最大限にひきたつようにつくられている。例をあげればきりがないがここでそのいくつかをご紹介。

・マリオンが車を運転しているとき、彼女の失踪に気付いた会社内の様子や、中古車販売員たちが「現金で払ったよ」などと会話する声が流れる。妄想と思われるが、非常に効果的。簡単に真似ができる心理サスペンステクニックなのだが、それほど真似したものはみない。あの場面はマリオンが唯一楽しんだ場面だそうだ。また、運転の途中で会社社長と客と会う場面は、「パルプ・フィクション」で使われている。

・マリオンが最初の場面では白いブラ。お金を盗んでからは黒いブラ。「いい」女なのか「悪い」女なのかということにヒッチコックはこだわったという。「悪い」女になったときは「黒い」ブラ。観客の直感に訴える見事な演出だ。

・トイレを映し出し、流す場面まで出てくるのはアメリカ映画初。脚本家ステファーノによると「トイレが映ることで観客が動揺し、潜在意識に訴えられるだろう」とのこと。この映画がなければ「トレインスポッティング」もなかった?

バーナード・ハーマンがつけた音楽はドラムもリズムセクションもなく、チョロとバイオリンのストリングスのみで展開された。「悲鳴をあげるバイオリン」にヒッチコックはおもしろがり、この作曲家のギャラを2倍にしたという。ケチで有名な彼には前代未聞のことだった

・モーテル内の剥製や壁にかかった絵など「鳥」が登場。ノーマンがマリオンに向かって「鳥のように食べるね」と言ってみたり、町の名前(フェニックス)や登場人物(マリオン・クレインのクレイン=鶴)の名前にも鳥の名前が使われていたり...鳥のイメージをまぶしまくっているが、単に次回作の「鳥」の宣伝のためという説もある。


ヒッチコック カメオ出演場面「サイコ」でのヒッチコック・カメオ出演場面!

マリオンが事務所に出勤した時、事務所の外でウエスタンハットをかぶって立っている通行人。


 シャワー場面トリビア
「サイコ」で最も有名なのはこのシャワー場面。ヒッチコックが「サイコ」を手掛ける決意をしたのは、"シャワー中、突然起こる殺人が面白い"と思ったから。当時のスタッフによると、主演女優が最初の20分で殺されるというアイデアにヒッチは夢中になっていたらしい。殺される役に観客が感情移入できることが重要、有名女優を使えばさらに観客のショックが増すとヒッチは考え、当時のスター女優ジャネット・リーの起用が決まった。ジャネット・リーはヒッチコックと仕事がしたい気持ちが強かったため、小さな役でも特に不満はなかった、と言う。リーはこの場面について「(ヒッチコックは)マリオンが犯した罪を洗い落とし、報いをうけようとしている感じをだしてほしいといってきました。それを踏みにじられる瞬間がより刺激的になるから」と語っている。

このシャワー場面にまつわるトリビアを少々。

ナイフを突き刺す場面は14回。だが、ナイフが体に突き刺さった場面は一度もない。
ナイフをさす時の効果音は種類の違うメロンをそれぞれナイフで刺して作り出した。
関係者試写をしたとき検閲の橋渡し担当者が「胸が見えた」と騒いだ。だが、そのときのヒッチ先生のご回答。「見えてないよ、(見えたと思ったのは)君のスケベ心のせいだ。結局、試写後、カットされたのはマリオンが黒いブラジャーをとる場面と目のアップの一部だけだった。
ヒッチコックはこのシャワー場面は当初、完全にサイレントでとろうとしたらしい。ただ、バーナード・ハーマンが先走ってすでに曲を作っており、それを聞いたヒッチが予定を変更した。
シャワー・シーンで流れた血は、赤くないチョコレートソースだった。
ヒッチコックはこのシーンでつかわれる風呂場をぴかぴかに磨かせて、ひとり悦に入っていた。
ジャネット・リーを襲ったのはアンソニー・パーキンスではなく、代役。この場面の撮影時、彼はブロードウェイで舞台に立っていた。
編集が終わった後、アルマだけが「マリオンが死んでいるのにつばを飲み込んでいる。これは公開できない」と主張。ジャネット・リーいわくまばたきをしていた。他の人は誰ひとり気付かなかったらしいが、結局編集をし直すはめとなった。
ジャネット・リーが殺され、眼球がクローズアップされる場面がある。後に眼科医が"瞳孔が閉じている、死者の眼ではない"とクレームをつけ、ご親切にも瞳孔拡散剤を一滴たらせばよいとアドバイスしてくれたそうだ。同様の場面を撮影した「フレンジー」ではヒッチはそのアドバイスに従っている。

 彼女の話だと思ったら実は彼の...
「サイコ」のストーリーの巧みさは物語の主役を途中で変更してしまうところにある。
最初、観客にマリオンが男のために会社の金を横領する逃亡劇だと思わせる。マリオンを演じているのは当時の人気スター、ジャネット・リー。彼女が"主演"のはずなのだから...。ところが、彼女があっさり殺され、主演はアンソニー・パーキンス演じるノーマン・ベイツへうつる。ベイツは鳥の剥製が趣味で、マザコン。尋常でない世界へと導かれていく。

Aの話に見せかけて、実はBの話。映画においてそう珍しい物語構成ではない。だが、大部分は面白そうな話で釣っておいて、極めて凡庸なオチに向かっていくというパターン。主役も変わらない。「サイコ」の場合、物語の焦点が"色恋がらみの逃亡劇"というありふれたものから"モーテルを経営する謎の母子の殺人疑惑"へと移る。より興味をかきたてる、刺激的な話にシフトするのだ。かつ主役も美女からオタクっぽい青年に変わる。

まず、ここで観客は一杯食わされる。

かつ、その母親の話が2転、3転するのだ。最初、ベイツがマリオンに語ったところによると
・ベイツは、父親と5歳で死別し、母親の手で育てられた。母親は新しい男とつきあい、男のすすめでモーテルをたてたが、男が殺されてしまい、母親はそのショックで外出もままならなくなる。

ということだった。だが、その後の副保安官の話では、
・母親は既に10年前に死んでいた。男に浮気され、逆上した母親は男を毒殺し、自分も青酸カリを飲んで自殺した
ことになっている。だが、真実は...

観客はここで二杯目を食わされる。

だが、ここでもまだ秘密は隠されている。
"母親は生きている"という大前提で物語は進められているからだ。

映画を観ている途中、母親が生きていると観客に信じ込ませるため、母親の声が問題となった。
当初はアンソニー・パーキンスが自分でやりたいと申し出たが、ヒッチコックはパーキンスの声によって途中で観客に見抜かれるのを恐れ、母親の声を、ポール・ジャスミン、ジャネット・ローラン、バージニア・グレッグという3人の声を混ぜ合わせて起用した。といっても、最後の場面ではパーキンス、つまり男の声に少しは似ていないとまずい。そのため、ポール・ジャスミンという男性をひとり起用した。ポール・ジャスミンは映画を観て自分の声がわからなくて唖然としたという。「アンソニー・パーキンスが母親をかついで、階段を下りる前の声は(自分だと)わかった。でも最後のつぶやきは完全に女の声。おそらくバージニアの声にジャネットの声をほんのちょっと入れて、テープを重ねてつないだんだろう。」と語っている。

最後、観客は三杯目を食わされる。「サイコ」は映像と物語の両側面で最後まで観客をゆさぶり続けるのだ。
そのラスト場面、実は2パターン撮影している。ノーマンの薄笑いから車が沼から引き上げられる場面へ続くものと、ノーマンの薄笑いに母親のガイコツがにやりと笑う姿がオーバーラップするもの。(日本でビデオ化されたものはこちら)ヒッチは最後までこの母親のオーバーラップはやりすぎではないかと悩んでいたという。個人的にはあったほうがいいと思いますが。

 ネタバレ禁止戦略

サイコ 途中入場禁止

観客の衝撃を最大限にするため、ヒッチコックは徹底的にネタバレを禁止した。
特に
・主演女優ジャネット・リーが映画前半で殺されてしまうこと
・実は母親が死んでいること

この2点は絶対もれてはならない。

予告編を3本作ったが、一番有名なのはヒッチコック自身が観光ガイドのようにセットをまわり、説明してくれる6分半のバージョン。
もちろん肝心なことは何も話していません。
そして、最後よ〜く見てください!
シャワー中、悲鳴をあげる女性の顔!ジャネット・リーではありません。
そう...ヴェラ・マイルズなのです!



また
・一般公開前の試写会も一切禁止。
・原作本も市場に出回っているものは、可能な限り買い占めた。
・劇場公開後も、途中入場は一切禁止。ヒッチコックが自ら観客に訴える録音メッセージが劇場で流された。劇場主がきちんと守っているか、探偵を雇って調べさせていたという。

 今買い占めてもムダです(笑)


 エド・ゲイン、そして原作との関連性
「羊たちの沈黙」や「悪魔のいけにえ」同様、ノーマン・ベイツのキャラクターには実在の連続殺人鬼エド・ゲインがモデルと言われているが「サイコ」を観るうえで、あまり深入りしないほうがいい内容。エド・ゲインが実際に行った犯罪に比べたら、ノーマン・ベイツなんて可愛いもの。そもそも、原作はエド・ゲインに着想を得て書かれたミステリー小説にすぎず、念入りに取材して書かれたドキュメントではない。映画はその原作をさらに薄め、ベイツは"ハゲの眼鏡をかけた中年の子男"(これは実際のエド・ゲインに近い)から、ハンサムで繊細な青年に変えている。エド・ゲインについては何度か映画化されているが、決定打は出ていない。そもそも、事実をまともに映画化したら劇場公開は不可能だろう。

 白黒でとった理由
ヒッチコックは白黒でとった理由を「カラーにするとグロイから」と説明している。だが、次作「鳥」でカラーの血をばんばん映したことから考えても、この理由は建前っぽい。本当は単に製作費節減のためだと言われている。スタッフも映画のスタッフではなく、編集担当者以外はヒッチコック劇場のTVスタッフを起用している。ヒッチはモノクロで撮影され絶賛された「悪魔のような女」に対抗心を燃やしていたのも理由のひとつ。「サイコ」はヒッチコック最後の白黒フィルム。ガス・ヴァン・サントのカラーリメイク版「サイコ」(1998)を観れば、ヒッチの判断は正しかったことがよくわかる。

 公開当初の批評家受けは...
脚本のジョセフ・ステファノはアメリカで批評家受けがよくなかったのは試写がなかったため、彼等も映画館で一般の客に交じって見なければいけなかったからだとコメントしている。イライラが伝わってくるような批評が多かった、と。「史上最も愚劣で醜悪な映画」と切り捨てた批評もあったという。N.Yタイムズの批評家ボズリー・クローザーは公開当初、"輝かしいキャリアの唯一の汚点"とけなしたが、「サイコ」の評判が高まるにつれ、瞬く間に意見をひるがえし、1年後の年間ベスト10に選び、かつ「M」「悪魔のような女」に匹敵する映画とほめたたえている。

日本でも公開当時の評価は低く、キネマ旬報ベスト10では35位だった。38人の投票者のうち、ベスト10に選んだのは2人だけ。淀川長治氏も双葉十三郎氏も「ヒッチコック万歳!」という著書がある植草甚一氏ですらベスト10に選んでいない。まあ、この年日本で公開された洋画は「チャップリンの独裁者」(何と日本で公開されたのは製作されてから20年後の1960年なのです)「甘い生活」「太陽がいっぱい」「大人は判ってくれない」「ベン・ハー」「アパートの鍵貸します」「黒いオルフェ」「若者のすべて」....強豪ぞろいだったとしても、ね。

この現象を今の感覚でとらえ「だから評論家は...」と眉をひそめるのは少し酷かもしれない。
当時はまだヒットした娯楽映画やジャンル映画を芸術とみなして緻密に分析する姿勢がまだ根付いていなかった。ヒッチコックに対する評価はフランスの映画批評誌カイエ・デュ・シネマ誌で活躍した批評家たちがベルイマン、アントニオーニ、フェリーニなどの監督作品と同じようにヒッチコックを分析し、その考えがアメリカに輸入されはじめてから、あがっていった。1966年、ヒッチコックとフランソワ・トリュフォーの対談集「ヒッチコック 映画術」が発売されたこともはずみとなった。「サイコ」が名作としての地位を確立したのは1980年代後半と言われている。




この年のアカデミー賞でも4部門にノミネートされたが、受賞ゼロ。ヒッチコックも5度めの監督賞ノミネートを受けていたが、またしても受賞を逃した。

「サイコ」がその後の映画に及ぼした影響は計り知れない。実例をあげればきりがないが、「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」(1968)ではモノクロ映像、音楽の使い方はもちろん、娘が母親を刺し殺す場面はもろに「サイコ」のシャワー場面をほうふつさせる。前からグサグサ刺す、しかも「サイコ」と同じ14回!また、ピーター・ジャクソンの「ブレインデッド」(1992)の主人公と母親の関係などは「サイコ」そのものだ。ゾンビ映画の傑作に「サイコ」の影響が色濃くみられるのは面白い。

公開当初、ヒッチコックは「サイコ」が社会学者や心理学者に深読みされる傾向に戸惑った。
単なるスリラー映画監督とみなされていた彼にとって、”深読み”されるのはキャリア上はじめてのことだった。
ニューヨーカー誌が「サイコ」には無意識の要素があるという批評を載せたことに対して
「馬鹿も休み休み言ってくれ!訳もわからず作ったみたいにいうんじゃない。私はそんないい加減に作っていない。ちゃんと理解したうえで意識的にやっている」と反論している。プロの映像作家、エンターティナーとしてのプライドが感じさせるコメントである。

ちなみに「サイコ」を観た後、「こんなことが本当にあるのか?」と真摯な疑問をもち、精神分析の本をひもといてみたくなった人もいるかもしれない。ラスト場面のアレは原作者ロバート・ブロックの"単なるアイデア"である。映画は原作どおりに描いているだけ。もちろん、人間の未知なる精神世界、ありえないと断言するのも野暮ではあるが...。

映画「サイコ」の魅力はヒッチコックがフランソワ・トリュフォーに語った次の一言にすべて言い表されている。
「わたしの最大の満足は、この映画が観客にすばらしくうけたことだ。それがわたしにはいちばん大事なことだ。主題なんか、どうでもいい。演技なんか、どうでもいい。大事なことは、映画のさまざまなディテールが、映像が、音響が、純粋に技術的な要素のすべてが、観客に悲鳴をあげさせるに至ったということだ。」
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1000 Frames of Psycho (1960)

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2017.08.15 Tuesday | 18:46 | - | - | - |

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