インセプション
インセプション(2010 アメリカ)
原題 INCEPTION
監督 クリストファー・ノーラン
脚本 クリストファー・ノーラン
撮影 ウォーリー・フィスター
音楽 ハンス・ジマー
出演 レオナルド・ディカプリオ 渡辺謙
ジョセフ・ゴードン=レヴィット マリオン・コティヤール
エレン・ペイジ トム・ハーディ キリアン・マーフィ
トム・ベレンジャー マイケル・ケイン
第83回(2010年)アカデミー賞撮影、録音、視覚効果、音響編集賞受賞。作品、脚本、美術、作曲賞ノミネート
観終わった後でもう一度観たくなる『メメント』、メガヒット『ダークナイト』のクリストファー・ノーラン監督最新作が『インセプション』。『ダークナイト』が大絶賛されながらもアカデミー賞作品・監督賞ノミネートからもれたせいか?今回の『インセプション』では、レオナルド・ディカプリオ、ケン・ワタナビ、マリオン・コティヤール、エレン・ペイジ、トム・ベレンジャー、マイケル・ケイン、ピート・ポスルスウェイトといったアカデミー賞受賞、orノミネート経験者をずらりと並べ必勝体制で迫ります。主人公は人の夢の中にある潜在意識に入り込むことでアイディアを盗みとる男。この物語設定はアカデミー賞好みではありませんが結果はいかに?ちなみにアメリカでは批評家の約80%が評価しており、候補資格は得たといってよい。
原題 INCEPTION
監督 クリストファー・ノーラン
脚本 クリストファー・ノーラン
撮影 ウォーリー・フィスター
音楽 ハンス・ジマー
出演 レオナルド・ディカプリオ 渡辺謙
ジョセフ・ゴードン=レヴィット マリオン・コティヤール
エレン・ペイジ トム・ハーディ キリアン・マーフィ
トム・ベレンジャー マイケル・ケイン
第83回(2010年)アカデミー賞撮影、録音、視覚効果、音響編集賞受賞。作品、脚本、美術、作曲賞ノミネート
観終わった後でもう一度観たくなる『メメント』、メガヒット『ダークナイト』のクリストファー・ノーラン監督最新作が『インセプション』。『ダークナイト』が大絶賛されながらもアカデミー賞作品・監督賞ノミネートからもれたせいか?今回の『インセプション』では、レオナルド・ディカプリオ、ケン・ワタナビ、マリオン・コティヤール、エレン・ペイジ、トム・ベレンジャー、マイケル・ケイン、ピート・ポスルスウェイトといったアカデミー賞受賞、orノミネート経験者をずらりと並べ必勝体制で迫ります。主人公は人の夢の中にある潜在意識に入り込むことでアイディアを盗みとる男。この物語設定はアカデミー賞好みではありませんが結果はいかに?ちなみにアメリカでは批評家の約80%が評価しており、候補資格は得たといってよい。
さて、能書きはほどほどに本題に入ります。
う〜〜ん、期待しすぎた。
何せ前作が『ダークナイト』だったからね...。
物語的には『メメント』+『ダークナイト』といった風情。非常に複雑な構成だが、才気のひけちらかしというか、アイデアの羅列というか、"SFオタク御用達映画"で終わってしまった感あり。
夢が暗示する潜在意識、というテーマはアーティストと呼ばれる人なら誰でも手掛けてみたいものらしい。文学者が自分の潜在意識を探るために夢日記をつけているという話はよく聞く。夢をテーマにした文学も映画も数えきれないほどある。好きなように想像力の翼を拡げられる"夢"はまさに映像作家にとってはうってつけのテーマだろう。だが、個人的記憶をたどる限りにおいて"夢"を題材とした映画に成功作はほとんどない。最近では韓国の鬼才キム・ギドク監督が『悲夢』でこのテーマに挑んだが外れの少ないギドク映画の中では失敗作であった。『悲夢』は"胡蝶の夢”をモチーフにした映画で、最近、あのフランシス・フォード・コッポラもこの題材で作品を発表している(個人的には未見)。『インセプション』には"胡蝶の夢”のテーマをさらに推し進め、現実よりも夢の中で生きる女(マリオン・コティヤール)が出てくる。
コブ(レオナルド・ディカプリオ)がたびたび夢に出てくる亡き妻に悩まされる...。これって夢の中の潜在意識というより単なるトラウマじゃないの?妻が死んだのは何年前のことかは知らないが、潜在意識の中に潜むものは子供時代とかもっと昔の、もっと抽象的なイメージのはず。トラウマと夢の中の潜在意識、はイコールではないと思うが...。トラウマは自覚しているが潜在意識は自覚していない。少なくてもその程度の違いはあるはず。夢の中で妻が出てくるたびに違和感ありありだった。まあ、もともとコブには妻も子もおらず全て彼の妄想だ、と解釈すれば別ですが。この映画からそういう解釈を施すのは無理がありすぎる。
この『インセプション』の夢描写は映像表現や設定ごっこに終始してしまっている。夢から覚めるためには夢の中で死ぬか、"キック"という方法によって夢の中で落ちるような感覚を味わう...。夢の中で夢を見るとか、夢にも段階がありいくつかの層に分かれる...。ルールづくしであり、それを理解するだけで一苦労。それでも前半は"これは誰の夢の場面だろうか?それても現実?"と戸惑いつつも面白く見ることができた。だが、後半がアウト。任務のメンバーが社長息子と同じ飛行機に乗り込み、彼に強い睡眠薬を飲ませることにより彼の夢に侵入するが...。社長息子はいくつもの夢を見る。雨の中でのカーチェイス、ホテルや雪山での死闘....。ひとつの夢に絞って父親に対する複雑な心境などをじっくりと描いてほしかったが『インセプション』では夢が段階をへるという大義名分のもと、アクション場面を増やすため、いくつもの夢を作りだすという選択をした。そのアクション場面もどこかで見たことがあるようなものばかりだ。アクション映画だけではなく、橋の場面では『落下の王国』。ラスト近く、崖が崩れ落ちる場面は『潜水服は蝶の夢を見る』...。後半は既視感のオンパレードだ。
もうひとつ気になったのが時折挿入されるエディット・ピアフの名曲『水に流して(私は後悔しない)』である。スタイリッシュな映像の中、この曲がふっと挿入されると何とも言えない独特な空間が生まれ、イメージ的にはフィットしている。『インセプション』には『エディット・ピアフ 〜愛の讃歌〜』の主演女優マリオン・コティヤールが出演していることからちょっとしたお遊びじゃないか、と思っていた。『水に流して(私は後悔しない)』は『エディット〜』でクライマックスに使われる重要曲。この曲が流れるたび、コティヤールが登場するたびに『エディット〜』が脳裏に浮かんだ。鑑賞中、本作と全然関係ない別の映画が、頻繁に思い浮かぶのは困りもの。『インセプション』のラストクレジットにも『水に流して(私は後悔しない)』が流れる。この曲の使用に何か深い意味があったのだろうか?残念ながら、当方にはそれが何かわからなかった。『インセプション』の最初と最後の海辺の場面は『エディット〜』のラスト場面をほうふつさせるが...。もしこの曲の使用に意味があるとすれば、曲ではなくエディット・ピアフという人に対してだろう。ピアフは生涯、少女時代のトラウマをかかえて生き続けていた。だが、それはトラウマであり、夢の中の潜在意識とは微妙に異なる。そもそも夢の中の潜在意識など映画になりっこないのだ。もしできるとすれば、仕上がりはストーリー性のない超芸術映画にしかならないだろう。
それにしてもこの映画のラスト。トーテムが回り続けるのだがゆれが大きくなり...。さて、アレは夢かうつつか...。はっきりいってどーでもいい(爆)。人によって解釈が分かれる映画は大好物ですが、こういう"露骨な思わせぶり"は苦手でありマス。※ 興味のある方は→ノーラン監督「インセプション」エンディングのナゾを解明
『インセプション』、一般的には大好評のようだ。
物語についていけた→よってこの映画を「理解」した→わからないやつはバカでIQが低い→この映画をわかった自分は賢い→『インセプション』を正気の沙汰とは思えないほど絶賛
こういう奇異な思考循環をたどっている人が非常に多い。そもそも"物語を理解する"ことと"映画を理解する"とは全く別次元の問題なのに。こんな観客を山ほど生み出しているのはやはり映画の構成や見せ方、描き方に問題があるからだ。
この作品、予備知識ゼロで見たのがいけなかったのか、ルールを理解するのがひと苦労(しきれていないが)。好きなタイプの題材にもかかわらず、なかなか物語にのめりこめず約2時間半の映画が10時間くらいに思えた。といってもう一度観たいと思うほどの魅力は感じない。映像や設定など凝りに凝っているが、結局この映画のテーマが何であるかが見えてこない。『2001年宇宙の旅』はセリフが極端に少ないことがかえって想像力を喚起した。『インセプション』は説明は多いが、それがイメージの拡がりを妨げている。わかったふりをして絶賛を装いたくない。"設定の凝りすぎ"ばかりが目立つ、ノーランの"才気ひけちらかし"映画にしか見えなかった。
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私は今日観てきました。
なんだかやっぱり気になって、早く観たかった(笑)
詰め込みが多くて、大変な映画でした。
おまけに長い!一度じゃ観切れません。
やっぱり、「エディット・ピアフ」に「マリオン・コティアール」が気になりましたよね。
私も監督は映画「エディット・ピアフ」がお気に入りなのねーなんて思ったり(笑)
夢の階層が深くなる展開は面白かったです。
謙の活躍も嬉しかったりで。
moviepadさんの記事を今読んで、あーあのシーンはあの映画ねーと頷いてしまいましたよ。
流石!