ディア・ドクター
ディア・ドクター(2009 日本)
監督 西川美和
原案小説 西川美和 「きのうの神さま」
(第141回直木賞候補作)
脚本 西川美和
撮影 柳島克己
音楽 モアリズム
出演 笑福亭鶴瓶 瑛太
余貴美子 井川遥
香川照之 笹野高史
松重豊 岩松了
中村勘三郎 八千草薫
緊迫感あふれる映像、幾通りもの解釈が成り立つ文学性あふれる物語...。
西川美和監督の前作『ゆれる』は映画が総合芸術であることを知らしめてくれる作品だった。
30代前半でこんな傑作をモノにしてしまうと後が続かないのではないか?と危惧していたが余計な心配であった。西川美和監督の最新作『ディア・ドクター』は僻地治療に尽力をそそぐ無免許医者伊野(笑福亭鶴瓶)の姿を通して"本物の悪、ニセモノの正義"を問いかける作品。前作にまさるとも劣らない見事な仕上がりである。いやはや、西川美和、恐るべし。

原案小説 西川美和 「きのうの神さま」
(第141回直木賞候補作)
脚本 西川美和
撮影 柳島克己
音楽 モアリズム
出演 笑福亭鶴瓶 瑛太
余貴美子 井川遥
香川照之 笹野高史
松重豊 岩松了
中村勘三郎 八千草薫
緊迫感あふれる映像、幾通りもの解釈が成り立つ文学性あふれる物語...。
西川美和監督の前作『ゆれる』は映画が総合芸術であることを知らしめてくれる作品だった。
30代前半でこんな傑作をモノにしてしまうと後が続かないのではないか?と危惧していたが余計な心配であった。西川美和監督の最新作『ディア・ドクター』は僻地治療に尽力をそそぐ無免許医者伊野(笑福亭鶴瓶)の姿を通して"本物の悪、ニセモノの正義"を問いかける作品。前作にまさるとも劣らない見事な仕上がりである。いやはや、西川美和、恐るべし。
『ディア・ドクター』の着想は、3年前に見た新聞記事がきっかけだという。
「四国の僻地で白タク運転手が逮捕され、お年寄りが病院に通えなくなったという記事を読んで、僻地医療に興味を持った。見捨てられた辺境の地で成り立つ正義とは何なのかを探りたかった。」
「“僻地で働く素晴らしい医師、温かい村民”という構図ではくくれない現実を描きたかった」 参照
西川監督はこう語る。 ※ 参考 新聞記事とは↓のこと?
→『《地方は〜限界集落から〜》月2回通院 毎回5000円はきつい/「白タク」過疎地の足』(朝日新聞2006.3.27)
また数多く発生した食品偽装事件にも影響を受けたという。
「なぜ誰も偽物を見抜けなかったのか。その事実への反省はなく、人々はただ騒ぐだけだったのではないか」この疑問から偽者と本物というテーマが浮かび上がった。
※ これ以降は物語の核心にふれておりますので映画をご覧になった後でお読みください。
"先生"が逃げ出してしまい大騒ぎになる場面から物語は始まる。そして警察が関係者に事情聴衆する様子を適時織り交ぜながら、僻地治療に奮闘する伊野の姿が描かれる。はじまって1時間くらいたつと「はあ、 鳥飼かづ子(八千草薫)の治療の件でごまかしがきかなくなり、伊野は逃げ出したんだな」と推測がつく。だが推測がついたころに若い青年がかつぎこまれる場面が挿入されているのがミソ。看護師、大竹朱美(余貴美子)は治療法を見抜き、伊野に指示を出す。だが"先生"は自信がないのかたっぷりひや汗をかき、注射器をもったまま立ちすくんでしまう。何かを疑うような目つきで伊野をせかす朱美。不安気に見守る研修医、相馬(瑛太)。観客は"もしかしたらこっちで失敗をやらかしたために逃げ出したのではないか?”と推測を変更しそうになる。結果はやはり推測どおりに進むのだが、概要が見えてきたころにワンクッション置く演出が実に巧い。患者を無事大きな病院に送り出した後、朱美はこっそり泣き崩れる。彼女は伊野が"ニセモノ"であることにここで気づいたのか?それともずっと疑っていてそれが確信に至ったのか?また相馬もこの場面で何らかの疑惑が心をよぎったはずだ。それでも2人は伊野についていく。2人にはそれぞれ"世間体だけのホンモノ"よりも"きちんと患者に感謝されるニセモノ"を信じたくなる理由があった。
この後は映画のテーマに密接にからむ場面のオンパレード。一瞬たりとも見逃せなくなる。
薬のセールスマンである斎門(香川照之)が伊野の意外な過去を警官から聞かされる。その後、警官は「何であんなことするのかね。愛かい?」という馬鹿げた問いかけをする。そこで斎門はわざと椅子から転がり落ちてみせる。助けようとする警官。そこで斎門はいい放つ。「あなたは私を愛していたから助けようとしたんですか?」
主人公の伊野は決して善人とはいえない。無免許で村にもぐりこみ高額報酬をせしめて頃合をみてトンズラしようという魂胆だと思われる。だが、彼には"人に頼りにされるとイヤといえない"気質があった。"人の善さ"とは微妙に異なる。警察が斎門を助けようとしたのと同じように、はてしなく本能に近いものなのだ。
前作同様、当作も行間を読まなければいけない場面がたくさん出てくる。極め付けは伊野がりつ子(井川遥)から"ある言葉"を聞いて混乱し病院を飛び出すところだ。相馬は突然消えた伊野を探すが...。
個人的にはここで終わると思ったがそれでは説明不足すぎるか?物語はさらに続く。失踪した伊野の行方を追って刑事は聞き込み調査をはじめる。ある日、伊野と2人の刑事が駅のプラットフォームで隣り合わせになる。刑事は隣にいる標的に気づかない。やがて伊野だけが電車に乗る...。西川監督いわく、当初はこの場面で終わるつもりだったという。だがこれでは伊野が"逃げただけの男"に終わってしまうため続きを書き足したようだ。
結局、最後まで登場人物のバックグラウンドはわからないことだらけだ。
・大竹朱美が伊野のもとで働くようになったきっかけは何か?そして彼女はいつごろ伊野の正体に気づいたのか?
・金持ちのボンボンにしか見えない相馬がなぜわざわざ僻地を研修場所に選んだのか?
暗示する台詞はあるのだが、詳細はわからない。
鳥飼かづ子はなぜ娘に病状を伝えるのを頑なまで拒むのか?医者である娘のりつ子は自分の父親の死の際、どんな対応をしたのか?かづ子の家には1枚の写真が飾ってある。いくら家族全員が写っているとはいっても夫が病気で苦しんでいる写真を掲げているのは奇異なことに思える。かづ子には"娘に心配をかけたくない"という建前とは別の、何か大きなこだわりがあることが想像される。伊野はかづ子の思いを理解したからこそ"ある申し出"を受けたのだ。そしてその申し出には、伊野自身の過去とシンクロする心理要素があったに違いない。
そもそも、伊野は何をきっかけに無免許医師への道に走ったのだろうか?善良な動機も不純な動機も考えられる。その両方が織り交ざったものかもしれない。伊野が一時期、製薬会社の営業をやっていたこと、大切にもっている父親のボールペン、そして現在父親は重病...つながるようなつながらないような微妙なメタファーが映画では撒き散らされている。
映画を観終わった後、次から次へと疑問が湧き出てくる。ただ誰もが"命の扱い方"について何らかのトラウマを抱え続けていることは間違いないだろう。
警官はつぶやく。
「あのニセモノが帰ってきたら、俺たちがニセモノだと言って追い出されるかもしれないなあ」
現在ほど本物と偽者の違いがあいまいな時代はない。
偽ブランド商品を売っていた業者が捕まったというニュースを時折耳にする。この種の事件で興味深いのはお客の大部分が"偽ブランド"と知っていて購入している点だ。偽ブランド業者は、本物を貶めたという点では犯罪である。だが、お客には"本物もどき"を安値で提供して"ちょっとリッチな気分"にさせた。小さな幸せを与えていたのである。どれが本物でどれが偽者か?という定義はひとりひとりの心の持ち方次第。極めて個人的かつ主観的なものなのかもしれない。
ラストは一見唐突な印象を与える。だが、笑福亭鶴瓶、八千草薫という2つの柔らかい個性が重なり合うことで、ひまわりが急に咲き誇ったような余韻を残す。伊野は"ニセモノ"医者だったが、彼の中の何かは"本物"だった。そしてそれが本物であることはかづ子だけが見分けられた。これで十分だ。
『ディア・ドクター』は、命という究極のテーマのもと、"本物"と"偽者"という2つの既成概念にとことんゆさぶりをかけてくる。練り上げられた脚本、見事な演技のアンサンブル...文句なしの傑作である。
西川美和の才能は疑いようがないくらい"本物"だ。

※ 前作「ゆれる」の小説版も三島由紀夫賞候補になっているのですが、今作の原案小説「きのうの神さま」が第141回直木賞候補作に選出されました。映画をきちんとご覧になった方なら驚きはしないでしょう。それにしても西川美和さん、新作を発表するたびに映画界、文学界の両方をにぎわす存在になりそうです。恐るべし!
※ 当ブログもお世話になっているzukkaさんの「気ままに綴りたい」に、札幌のミニシアター、シアターキノで行われた西川美和監督と川本三郎氏の対談内容が掲載されています。『ディア・ドクター』、『ゆれる』のラストに対する西川監督のコメントや、刑事が伊野を見逃してしまった場面に対する解釈など非常に興味深い内容です。ぜひ一読を!
→ 「映画が名作になるとき」対談
さすが、movipadさん、素晴らしい記事です!
自分のブログにも書きましたが、自分はこの映画と非常に近い経験をしているんです。
手術し、喉に管を通され、ベッドに寝たままの父と、看病する家族、そして、遠くにいる医者の兄。
父は、よく筆談で、「迷惑かけて悪い」と書いてました。
あれが、親の気持ちなのかもしれませんね。
また、兄は、父が死んだあと、救えなかった自分を悔やんでいました。
でも、看病していた自分たちは、これ以上の延命は望んでいなかったかもしれません。
すいません。変な話にそれました。
とにかく、素晴らしい映画ですよね。
是非、いろいろな人に見てもらいたいです。