レスラー(2008 アメリカ)
原題 THE WRESTLER
監督 ダーレン・アロノフスキー
脚本 ロバート・シーゲル
撮影 マリス・アルベルチ
音楽 クリント・マンセル
主題歌 ブルース・スプリングスティーン
出演 ミッキー・ローク マリサ・トメイ
エヴァン・レイチェル・ウッド トッド・バリー
マーク・マーゴリス ワス・スティーヴンス
ジュダ・フリードランダー アーネスト・ミラー
ディラン・サマーズ
第81回(2008年)アカデミー賞 主演男優賞(ミッキー・ローク)、助演女優賞(マリサ・トメイ)ノミネート。第65回ベネチア国際映画祭「金獅子賞」受賞。
とんでもないものを見てしまった。そんな言葉しか思いつかない。
『レスラー』は、昔栄華をきわめたが今は地方巡業にかけくれるプロレスラー、ランディが心臓発作を起こしたことをきっかけに一度引退を決意するが、自分の居場所はプロレスにしかないと確認。再びリングにあがるまでを描いた物語。これはランディを演じるミッキー・ロークの実人生にそのままシンクロする。ミッキー・ローク
は1980年代、『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』、『ナインハーフ』、『エンゼル・ハート』などでセクシー・スターとしての地位を固めたが、その後ボクシングに転身。日本では"猫パンチ"ボクサーとして悪名をとどろかせました。その後、整形手術の失敗、激太り、薬物売人への暴力事件などでスターの座を追われていた。再びリングにあがるランディの姿は、俳優として再起をかけるミッキー・ロークの姿ともろに重なる。『レスラー』はミッキー・ロークの生き様がスクリーン全体を覆いかぶさっている映画なのだ。
原題 THE WRESTLER監督 ダーレン・アロノフスキー
脚本 ロバート・シーゲル
撮影 マリス・アルベルチ
音楽 クリント・マンセル
主題歌 ブルース・スプリングスティーン
出演 ミッキー・ローク マリサ・トメイ
エヴァン・レイチェル・ウッド トッド・バリー
マーク・マーゴリス ワス・スティーヴンス
ジュダ・フリードランダー アーネスト・ミラー
ディラン・サマーズ
第81回(2008年)アカデミー賞 主演男優賞(ミッキー・ローク)、助演女優賞(マリサ・トメイ)ノミネート。第65回ベネチア国際映画祭「金獅子賞」受賞。
とんでもないものを見てしまった。そんな言葉しか思いつかない。
『レスラー』は、昔栄華をきわめたが今は地方巡業にかけくれるプロレスラー、ランディが心臓発作を起こしたことをきっかけに一度引退を決意するが、自分の居場所はプロレスにしかないと確認。再びリングにあがるまでを描いた物語。これはランディを演じるミッキー・ロークの実人生にそのままシンクロする。ミッキー・ローク
The Wrestler - Official Trailer
脚本は明らかにミッキー・ロークの出演を想定して書かれたと思われ、当然のごとくロークにランディ役のオファーがいった。だが、映画スタジオは問題児ミッキー・ロークの起用に難色を示し、ニコラス・ケイジに変えさせてしまった。だが、ケイジは監督の"意中の人"があくまでもミッキー・ロークであることを知って降板。ランディ役は再びロークに舞い戻った。その監督、ダーレン・アロノフスキー
はロークいわく"かわいいピンクの指を突きつけて"彼に言い放った。
「これからは自分が言うとおりにやってもらう。時間厳守、夜遊び禁止。スタッフの前で僕に対して絶対に不遜な態度をとらないこと。これが守れたらギャラを払う」
ロークは「ダーロンは俺の4倍は金の集まる俳優より俺を信じてくれた。そのためにぎりぎりの予算を余儀なくされたが俺のためにとことん闘ってくれた。」と監督を信頼。そして期待に応えた。
ファースト場面、試合が終わり疲れ果てたランディの姿を映し出す。その後、息を切らしながら帰宅するのであるが後姿だけが映し出され、顔を見せてくれない。男は背中で人生を語る?そしてミッキー・ロークの顔が映し出されたとき、観客は年月を感じずにはいられないのだ。役を演じる俳優の実人生をうまくあてこんだ映画としては『サンセット大通り』(1950)のグロリア・スワンソン、『エビータ』(1996)のマドンナが思い浮かぶが、『レスラー』もミッキー・ローク抜きでは成り立たない映画だ。
前半で特に興味深いのは"エンターティメント"プロレスの実態がきっちりと描かれていること。
巡業では観客が盛り上がってくれることが何よりも大事。対戦相手は事前に"打ち合わせ"をしている。試合結果は二の次で盛り上がりを演出できればGOOD JOB! 当日対戦した相手同士がその夜いっしょに飲みに行くという話も聞いたことがあるが、この描写はかなり実態に即したものであろう。嘆くのは野暮というものである。ちなみに最初の試合が終わったあと、ロークが休んでいる場所の壁には小学生の絵みたいなものが飾られている。次の試合会場ではなんとシャンデリアがつるされている。一体、どこで試合をしとるんじゃ!何はともあれ、この地方巡業の描写はかなり面白かった。
いくら"エンターティメント"であっても、リアリティにかけたものであれば観客にすぐ見抜かれる。
よってレスラーは無傷で試合を終えることはできず、ランディのようなベテランレスラーは体中、傷だらけである。映画はその傷をこれでもか、とばかりにえぐりとるように見せる。心臓発作で倒れたランディに対し、医者が"適度な運動なら大丈夫です"と事務的に言い放つ場面は爆笑。プロレスにおいて"適度な運動"では商売にならない。
老レスラー、ランディをミッキー・ロークは文字通り体当たり演技で魅せる。
ミッキー・ロークの演技が素晴らしい!などとしたり顔でいう気はさらさらない。
これはもう演技を超えている!まさに実況ドキュメンタリーのような迫力で観客を圧倒する。
ランディの娘ステファニー役を演じているのがエヴァン・レイチェル・ウッド
。若手演技派として知られ、マリリン・マンソンと交際するなどなかなかの強物なのだが、ロークの"むきだし演技"を前にすると、ウッドの演技は"人工的"に感じられてしまう。ケミストリーも今ひとつで2人が親子には見えない。あっさり和解してしまうところもひっかかりこの父娘パートは映画の興をそいでしまっている。だがここで"家族"という概念を浮かび上がらせたことがラストにつながっている。
一方、ロークを支えるストリッパー、キャシディ役を演じたマリサ・トメイはまさにお見事。
仕事モードの彼女はその表情、仕草まさにストリッパー。その一方で「お客とは一線を越えないの。それに私は子持ちなのよ」と仕事を離れたOFFの顔とのギャップをしっかり演じ分けている。オスカー女優だからといって脱ぎ惜しみなどせず、素顔もさらす潔さ。これくらい肝がすわっていないと、ロークには対抗できません。トメイはかつてロバート・ダウニー・Jr.と交際していたこともあり、猛獣の取り扱いには慣れている?出すぎた真似はせずきっちり主演猛獣ミッキー・ロークの引き立て役に徹している。助演の鑑のような演技である。マリサ・トメイ
は1992年『いとこのビニー』でアカデミー賞助演女優賞を受賞後、作品に恵まれず低迷。"オスカーの呪い"の犠牲者と言われていたが、『イン・ザ・ベッドルーム』(2001)で2度目のオスカーノミネートを受け復活。『レスラー』でもノミネートを受け、今やマーシャ・ゲイ・ハーデンやキャサリン・キーナーと並んで"最も信頼できる脇役女優"の地位を確立した感がある。
ところでステファニーへのプレゼントを買うためランディに付き合う場面でのトメイはほとんどスッピンで、"アンタ誰?"状態。ところが、その後、ビールにつきあう場面での彼女はしっかりメイクしているため、演じている女優がマリサ・トメイであると判別できました。キャシディちゅー女はさえない中年男とビールを一杯飲むためにわざわざメイクするのか!?という野暮なツッコミはこの際、やめておきます。
心臓発作の後ランディは一度引退を決意したが、やはり自分の居場所はリングにしかないことを確認。「俺にやめろといえるのはファンだけだ」と宣言し、ファンが自分の家族であることを宣言する。リングが居場所であり、家族であるということは...死に場所でもある。その決意を表明するかのように"死のダイブ"で映画は終わる。ダイブの直前、キャシディが見守っているかどうかを確認するが、彼女がいなかったから"死のダイブ"を決行したのか?答えはおそらくNo。あくまで彼はリングの上で死ぬことを選んだのである。
最後にブルース・スプリングスティーン
の主題歌が流れる。ロークが友人であったスプリングスティーンに手紙を書いて作曲を依頼。低予算で苦しむ映画のため、スプリングスティーンは無償で曲を提供してくれたそうだ。"血を流して君たちを喜ばせただろう?"と語る歌詞は映画の内容にシンクロしている。
だが、はっきり言ってこの曲は不要。雄弁すぎる歌詞が"死のダイブ"の余韻をかき消してしまっている。また、スプリングスティーンは『フィラデルフィア』や『デッドマン・ウォーキング』にも曲提供をしており新鮮味にかけるきらいもある。
『レスラー』は、まさにミッキー・ロークのための映画である。物語は凡庸であるが、ロークの存在感が映画をすべて呑み込んでいる。ロークの演技を受け止めるマリサ・トメイのパフォーマンスも一級品。
ミッキー・ロークの"むきだしの魂"が迫ってくる『レスラー』。
一見の価値は十分にある力作である。
←この記事が参考になりましたら左のバナーにクリックお願いします!
脚本は明らかにミッキー・ロークの出演を想定して書かれたと思われ、当然のごとくロークにランディ役のオファーがいった。だが、映画スタジオは問題児ミッキー・ロークの起用に難色を示し、ニコラス・ケイジに変えさせてしまった。だが、ケイジは監督の"意中の人"があくまでもミッキー・ロークであることを知って降板。ランディ役は再びロークに舞い戻った。その監督、ダーレン・アロノフスキー
「これからは自分が言うとおりにやってもらう。時間厳守、夜遊び禁止。スタッフの前で僕に対して絶対に不遜な態度をとらないこと。これが守れたらギャラを払う」
ロークは「ダーロンは俺の4倍は金の集まる俳優より俺を信じてくれた。そのためにぎりぎりの予算を余儀なくされたが俺のためにとことん闘ってくれた。」と監督を信頼。そして期待に応えた。
ファースト場面、試合が終わり疲れ果てたランディの姿を映し出す。その後、息を切らしながら帰宅するのであるが後姿だけが映し出され、顔を見せてくれない。男は背中で人生を語る?そしてミッキー・ロークの顔が映し出されたとき、観客は年月を感じずにはいられないのだ。役を演じる俳優の実人生をうまくあてこんだ映画としては『サンセット大通り』(1950)のグロリア・スワンソン、『エビータ』(1996)のマドンナが思い浮かぶが、『レスラー』もミッキー・ローク抜きでは成り立たない映画だ。
前半で特に興味深いのは"エンターティメント"プロレスの実態がきっちりと描かれていること。
巡業では観客が盛り上がってくれることが何よりも大事。対戦相手は事前に"打ち合わせ"をしている。試合結果は二の次で盛り上がりを演出できればGOOD JOB! 当日対戦した相手同士がその夜いっしょに飲みに行くという話も聞いたことがあるが、この描写はかなり実態に即したものであろう。嘆くのは野暮というものである。ちなみに最初の試合が終わったあと、ロークが休んでいる場所の壁には小学生の絵みたいなものが飾られている。次の試合会場ではなんとシャンデリアがつるされている。一体、どこで試合をしとるんじゃ!何はともあれ、この地方巡業の描写はかなり面白かった。
いくら"エンターティメント"であっても、リアリティにかけたものであれば観客にすぐ見抜かれる。
よってレスラーは無傷で試合を終えることはできず、ランディのようなベテランレスラーは体中、傷だらけである。映画はその傷をこれでもか、とばかりにえぐりとるように見せる。心臓発作で倒れたランディに対し、医者が"適度な運動なら大丈夫です"と事務的に言い放つ場面は爆笑。プロレスにおいて"適度な運動"では商売にならない。
老レスラー、ランディをミッキー・ロークは文字通り体当たり演技で魅せる。
ミッキー・ロークの演技が素晴らしい!などとしたり顔でいう気はさらさらない。
これはもう演技を超えている!まさに実況ドキュメンタリーのような迫力で観客を圧倒する。
ランディの娘ステファニー役を演じているのがエヴァン・レイチェル・ウッド
一方、ロークを支えるストリッパー、キャシディ役を演じたマリサ・トメイはまさにお見事。
仕事モードの彼女はその表情、仕草まさにストリッパー。その一方で「お客とは一線を越えないの。それに私は子持ちなのよ」と仕事を離れたOFFの顔とのギャップをしっかり演じ分けている。オスカー女優だからといって脱ぎ惜しみなどせず、素顔もさらす潔さ。これくらい肝がすわっていないと、ロークには対抗できません。トメイはかつてロバート・ダウニー・Jr.と交際していたこともあり、猛獣の取り扱いには慣れている?出すぎた真似はせずきっちり主演猛獣ミッキー・ロークの引き立て役に徹している。助演の鑑のような演技である。マリサ・トメイ
ところでステファニーへのプレゼントを買うためランディに付き合う場面でのトメイはほとんどスッピンで、"アンタ誰?"状態。ところが、その後、ビールにつきあう場面での彼女はしっかりメイクしているため、演じている女優がマリサ・トメイであると判別できました。キャシディちゅー女はさえない中年男とビールを一杯飲むためにわざわざメイクするのか!?という野暮なツッコミはこの際、やめておきます。
心臓発作の後ランディは一度引退を決意したが、やはり自分の居場所はリングにしかないことを確認。「俺にやめろといえるのはファンだけだ」と宣言し、ファンが自分の家族であることを宣言する。リングが居場所であり、家族であるということは...死に場所でもある。その決意を表明するかのように"死のダイブ"で映画は終わる。ダイブの直前、キャシディが見守っているかどうかを確認するが、彼女がいなかったから"死のダイブ"を決行したのか?答えはおそらくNo。あくまで彼はリングの上で死ぬことを選んだのである。
最後にブルース・スプリングスティーン
だが、はっきり言ってこの曲は不要。雄弁すぎる歌詞が"死のダイブ"の余韻をかき消してしまっている。また、スプリングスティーンは『フィラデルフィア』や『デッドマン・ウォーキング』にも曲提供をしており新鮮味にかけるきらいもある。
『レスラー』は、まさにミッキー・ロークのための映画である。物語は凡庸であるが、ロークの存在感が映画をすべて呑み込んでいる。ロークの演技を受け止めるマリサ・トメイのパフォーマンスも一級品。
ミッキー・ロークの"むきだしの魂"が迫ってくる『レスラー』。
一見の価値は十分にある力作である。


