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エド・ウッド

エド・ウッド (1994 アメリカ)

「エド・ウッド」原題   ED WOOD   
監督   ティム・バートン
原作   ルドルフ・グレイ
脚色   スコット・アレクサンダー ラリー・カラゼウスキー   
撮影   ステファン・チャプスキー                
音楽   ハワード・ショア               
出演   ジョニー・デップ マーティン・ランドー ビル・マーレイ
      サラ・ジェシカ・パーカー パトリシア・アークエット
      リサ・マリー G・D・スプラドリン マックス・カセラ
      ジェフリー・ジョーンズ ヴィンセント・ドノフリオ 
      ジョージ・スティール ビフ・イェーガー    
      ビル・キューザック ジュリエット・ランドー

第67回(1994年)アカデミー賞助演男優(マーティン・ランドー)、メイクアップ賞受賞。

チープなセット、ちゃちな特殊効果、変な台詞、エキセントリックなキャスト、突飛なストーリー展開...。この条件をすべて満たした作品を量産し、「史上最低の映画監督」として今もその名をとどめているエド・ウッドごとエドワード・D・ウッド・Jr(Edward Davis Wood, Junior)。マニアの間では既に有名でしたが、エドの名を広く知らしめた映画が、ティム・バートン監督の『エド・ウッド』。エド(ジョニー・デップ)が、ベラ・ルゴシ(マーティン・ランドー)と出会い、「プラン9・フロム・アウター・スペース」のワールドプレミアを終えて、キャシーに求婚するまでの比較的ハッピーな時期を描いた作品です。



ティム・バートンをはじめ、ジョン・ウォーターズ、デビッド・リンチ、サム・ライミ、クェンティン・タランティーノ...。エド・ウッドにはたくさんの崇拝者がいます。変態ばっかり。 脚本を手がけたスコット・アレクサンダーとラリー・カラゼウスキーの2人は学生のころからエドの生涯を映画化したいと考えており、最初ジョン・ウォーターズにこの企画を売り込みました。ところがウォーターズが「僕は『ピンク・フラミンゴ』からここまで来るのに20年かかった。またカルト映画からやり直せっていうのかい」と断ってしまったため、ティム・バートンに話が持ち込まれたそうです。バートンはジョニー・デップに電話をかけ、エド役を打診。ジョン・ウォーターズの薦めで『プラン9・フロム・アウタースペース』と『グレンとグレンダ』を既に観ていたジョニーは10分もしないうちにOKの返答をしたそうです。ジョニーは主として”手に負えないほど楽観的な”ロナルド・レーガンのスピーチをベースに、American Top 40のDJとして有名なCasey Kasemの信頼感あふれる声のトーンも織り交ぜて役づくりをしました。

そのジョニーに「(映画に失望していた時期に)演技への情熱を取り戻させてくれた」と言わしめたのが、ベラ・ルゴシ役のマーティン・ランドーです。ハンガリー訛りを習得し、往年のドラキュラ役者ベラ・ルゴシを演じアカデミー賞助演男優賞をはじめ、この年の映画賞を文字通り総ナメにしました。映画では、エドが偶然ルゴシに出会った、ということになっていますが、実際は「Jail Bait」(1954)でエドと共同で脚本を手がけたアレックス・ゴードンの紹介によるもの。映画に登場するトー・ジョンソン(ジョージ・スティール)、ヴァンパイア(リサ・マリー)、クリスウェル(ジェフリー・ジョーンズ)、バニー・ブレッケンブリッジ(ビル・マーレイ)らに知り合ったのも同じ時期のです。ちなみにベラ・ルゴシの一番のお気に入りは出世作『魔人ドラキュラ』(1931)ではなく、『恐怖城』(1932)のようです。ルゴシはエルンスト・ルビッチ監督『ニノチカ』(1939)にもちょい役で出演しているのですが...。


『グレンとグレンダ』

Glen Or Glenda (trailer)


エドの女装好きがもろに出ているとして有名な作品です。
映画で描かれているように、女装したまま監督することもたびたびあったようです。
ただ、エドの場合、女装全般が好きというよりアンゴラ・フェチといった感が強い。
ある日、なぜシルクやサテンじゃだめなのと聞くとエドは

どんなものもアンゴラほど官能的じゃない

映画でもエドがアンゴラのセーターにすりすりする場面が出てきますね(笑)
エドはよく「映画に出演させてやるからその服をくれないか」と女性に声をかけていたそうです。
エドが本気だとは女性たちは誰も思わなかったそうですが...。

さて、この『グレンとグランダ』実在の性転換者クリス・ヨルゲンセン(Christine Jorgensen)を題材に映画をつくるというニュースを聞きつけたエドが「自分ほどこの題材にぴったりな人間はいない」と映画会社に売り込み、はれて監督として採用になった作品。ところがクリスからは出演を断られてしまいました。性転換がテーマの映画に出るのはどうしてもいやだと言うんだ。両親が生きているあいだは、講演旅行の依頼すら断るという態度だった。そこで,エドは女装趣味の男の苦悩を描いた物語に変更し、ダニエル・デイヴィスという名で自ら主演するという暴挙に出ました。無理矢理自分にぴったりの題材にしてしまったわけです。自分の名ではなく変名を使っているあたり、エドも世間体を気にしていたんですね。

女装趣味の男が自殺した。事件を追ううちに警部はある男の名をつきつめた。その名はグレン(またはグレンダ)。婚約者の服に執着する奇妙な性格の男だった...。性転換などどこかに飛び、女装愛好者をあたたかく見守ろうというメッセージがこめられた珍作となった。ただ、ユーモアはまったくなく、まじめにつくられた退屈極まりない変態映画です。(爆)見所といえば、エドの女装というより、ルゴシの変な台詞ですね。ルゴシは撮影の際、女装愛好者の物語とは知らされていなかった模様。不老不死の霊薬をつくりだす神という役でした。

以下、ルゴシの台詞です。

人間は、絶えず未知なるものを探り続ける(中略)そしてこれまでに見たことのない、はっとするような、数々の驚くべき事実に光を当てる。だが、そのほとんどは、新しいものではない。そこには年齢を重ねた痕跡がある。

ひとつの生命がはじまった。

人間よ、きみたちは皆、どこかへ行こうとしている。(中略)ある者は、正しいことをしているがゆえに、間違っている。ある者は、間違っていることをしているがゆえに正しい。糸を引け!(Pull the string!")踊るんだ・・・きみたちはそのために造られたのだ

 ルドルフ・グレイ『エド・ウッド―史上最低の映画監督 』(早川書房)を参照

Bela Lugosi - pull the string!




この"Pull the string!"の訳のわからなさが妙に印象に残る映画です。


『怪物の花嫁』

さて次は『怪物の花嫁』です。(当初『原子の花嫁』“Bride of the Atom”というタイトルの予定。エドの作品は当初予定とタイトルが変わることが多い)どうせくだらない話だろ?物語紹介などいらん!まあ、硬いこと言いなさんな。

〜物語〜
女性記者ジャネット(ロレッタ・キング)は、天才科学者ヴォーノフ博士(ベラ・ルゴシ)と出会う。彼はマッド・サイエンティストのレッテルを貼られ、学会を追われてしまった。復讐のためヴォーノフ博士(アンゴラフェチの巨漢助手ロボ(トー・ジョンソン)とともに放射線で人類を超人化するという企みをたてる。ジャネットは博士の人体実験に利用されそうになるが…。

本当にくだらねえや(爆)。でも個人的には日本で公開された『グレン〜』、『プラン9〜』の3本中、これが一番マシでした面白かった!この映画で一番有名?なのは「私には故郷などない」というルゴシの台詞です。

Bela Lugosi "Atomic Supermen" Speech in Bride of the Monster

資金を出してくれるといったため、当時の恋人ドロレス・フラー(サラ・ジェシカ・パーカー)の代わりに、ロレッタ・キング(ジュリエット・ランドー)を主演女優として起用。だが、実際の彼女は一文無しだった。また肉屋の親父から金を引き出すことに成功したが、その代償としておかげでバカ息子、トニー・マッコイ(ビル・キューザック)を主役にしなければならなかった。この辺りの事情は映画でも描かれています。『プラン9〜』でも教会から金を出させるために出演者全員を入信させた。エドも大変ですね。

この映画のクライマックス、ベラ・ルゴシが池の中に入り、ぬいぐるみのタコの足をつかんでバタバタする場面は涙もの。映画『エド・ウッド』でも最も笑える場面のひとつです。ただ、『怪物の花嫁』をよく観ると実際のところは代役を使ったとしか思えない、と主張する人もいます。『プラン9〜』のルゴシはよく観なくても代役でしたが(笑)。また、巨大タコのセットは盗んだものではなく本当はきちんと借りたものだ、とか脚本はアレックス・ゴードンが手がけ、エドは台詞の半分を担当しただけ、いや違う、ゴードンは実は脚本に携わっていない...。

エドに関する情報は、結構錯乱気味です。エドの自伝『エド・ウッド 最低の映画監督』を手がけたルドルフ・グレイも、インタビューした人によって内容が矛盾することがあるが、あえて訂正せずそのまま掲載した、とお断りがしてある。よって、いろいろとどーでもいいことを邪推できるのが、エド映画人気の秘訣なのかもしれません。

ちなみに、imdbでは『怪物の花嫁』はエドの作品の中で唯一、興行的に成功したと書いてあります。Really?

Bride of the Monster Trailer (1955)




 ルゴシの死、『プラン9・フロム・アウタースペース』、オーソン・ウェルズ

前述のとおり、この映画は『プラン9・フロム・アウタースペース』のプレミアの場面で、ハッピーな雰囲気を醸し出して終わります。車のブレーキ音だけでルゴシが死んだことになる、史上最低の死に方と言われる場面の後、観客の反応を描かずに終わるところに毒を感じたのはワタクシだけでしょうか?

何はともあれ、その『プラン9〜』撮影直前にルゴシが亡くなってしまったため、珍作ぶりに拍車がかかったのは誰も否定できないでしょう。映画でも描かれているとおり、ルゴシとエドは本当に仲がよく、ルゴシのことを心配し、進んで助けようとしたのはエドだけだったといいます。ルゴシが亡くなったとき、エドの『最後の墓』の脚本を読んでいる最中でした。監督のティム・バートンはルゴシとエドの関係を、自分がヴィンセント・プライスに会った時の衝撃を思い出しながら描いたそうです。

『プラン9・フロム・アウタースペース』のプレミアが行われた1957年3月15日は、今後を暗示するかのような、どしゃ降りの雨。『プラン9〜』はあまりの出来のひどさになかなか買い手がつかず、劇場公開されたのはそれから2年以上後の1959年7月でした。エドはその後も映画、小説を手がけましたがどれもぱっとせず1978年12月10日、ローレルキャニオン通り5635番地で心臓発作のため亡くなりました。今からちょうど30年前のことになります。エドの死を目撃した俳優のピーター・コウは「葬儀屋の人たちが、彼の遺体をゴミ袋に捨てたんだ。見てられなかったよ」と語っています。享年54歳。業界紙には知らされず、新聞にも雑誌にも、死亡記事は掲載されませんでした。

エドワード・D・ウッド・ジュニアの追悼式は、クリズウェル、ポール・マルコ、スティーヴ・アポストロフ(映画監督)、バディー・ハイド、デヴィット・ウォード参列のもと、デイヴィット・ド・メリングによって執り行われた。遺体はエドは土に埋められることをひどく恐れており、埋葬はのぞみませんでした。エドの遺体はアター・マッキンリー葬儀場にて火葬され、遺灰は海にまかれた。晩年のエドは酒びたりで、酒代を捻出するために”商売道具”タイプライターを質に入れるようなことも。また、『アメージング・グレイス』が好きだったそうです。

エドはオーソン・ウェルズを崇拝しており、自分のオフィスに『市民ケーン』のポスターを張っていました。映画の中で、エドがオーソン・ウェルズに偶然出会う場面が出てきます。この部分は脚色で、エドはウェルズと会った事実はないのですが、この場面でウェルズがエドに言う言葉は印象に残ります。

他人の夢を撮ってどうする。自分の夢を撮れ

『市民ケーン』は「史上最も多くの人間に”映画監督になりたい”と思わせた映画」と言われており、エドもそのひとりだった。最も映画的だといわれる『市民ケーン』、一方「反映画」といわれるエド。共通点など何もないように思えますが、実はウェルズも映画の資金繰りで苦労した人物。『市民ケーン』でメディア王ハーストの私生活を描いたためハリウッドからほされてしまい、金のためにB級作品にもたくさん出演した。日本の英語教材『イングリッシュ・アドベンチャー』の広告で彼の写真を見たことがある人も多いでしょう。晩年は独特の存在感を売りとする怪優として活躍しました。アメリカでは『市民ケーン』と『プラン9・フロム・アウタースペース』を同時上映することがよく行われるそうです。

他人はその末路だけをみて簡単に不幸のレッテルを貼り付けようとします。でも「自分の夢を撮り続けた」エドの人生はそんなに悪いものではなかったのではないでしょうか?


 映画『エド・ウッド』もカルト?

エドは存命中も、評論家から無視もしくは酷評されていましたが、亡くなるや否や、存命中以上に嘲りの対象となった。エドの女装趣味が暴露されたときには、皆、ここぞとばかりにエドを笑いものにしました。1980年に出版されたThe Golden Turkey Awardsという本の中で、エドが史上最悪の監督、『プラン9・フロム・アウタースペース』が「史上最低の映画」に選ばれてことから、エドは俄然、注目を浴びるようになり、映画『エド・ウッド』でその名声はゆるぎないものとなりました。

確かに才能はなかったけれど、エドワード・D・ウッド・ジュニアの映画への情熱は誰も否定できない。
ティム・バートンは絶対にエドを悪く描かないと決意して撮影にのぞんだそうです。

エドの人生を描くという企画には多くの映画会社が関心を示しました。バートンは白黒で撮影することと、自分が映画のコントロール権をもつことを主張して一歩も譲らなかったため、交渉は次々と決裂。バートンの条件を受け入れてくれたディズニーで映画は製作されることになりました。その結果、この作品はティム・バートンらしい、マイノリティへの優しさに満ちた映画に仕上がりました。ジョン・ウォーターズが監督していたらもっと毒々しいものになっていたでしょうね。

映画『エド・ウッド』は批評家からの評価も高く、アカデミー賞でも2部門受賞(助演男優賞、メイク・アップ賞)をはたしました。ティム・バートン&ジョニー・デップコンビの作品であり、映画ファンなら誰でも知っている、と思いきや...。この映画、北米で580万ドルしか稼げず、興行的には大失敗に終わっています。(制作費は1800万ドル)。これについてバートンは「この映画を愛しているし、誇りに思う。観客が誰も来なかっただけのことだ」とコメントしています。

映画『エド・ウッド』は、ビデオ化され、そしてDVD化されてから”カルト映画”として注目をあびることになりました。この経緯はエド・ウッド作品と妙に似ています。実にティム・バートンらしい映画であり、彼の代表作のひとつです。映画『エド・ウッド』は”史上最低の映画監督”エド・ウッドの名(迷?)声に寄り添うようにこれからも愛され続ける作品となるでしょう。
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2008.12.10 Wednesday | 00:17 | 映画 | comments(2) | trackbacks(0) |

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コメント

いいレビューですね。
単純なパッションほど美しいものです。
2011/04/27 2:01 PM by 通りすがり
ありがとうございます。
エド・ウッドの人気の秘密はそーいうところにあるんじゃないか、と思います。
2011/04/28 8:10 PM by moviepad

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