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実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)

実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)(2007 日本)

公式サイトにリンク英題   United Red Army  
監督   若松孝二  
脚本   若松孝二 掛川正幸 大友麻子      
撮影   辻智彦 戸田義久                  
音楽   ジム・オルーク
ナレーション 原田芳雄               
出演   坂井真紀 ARATA
      並木愛枝 地曵豪
      伴杏里 大西信満
      高野八誠 小木戸利光 タモト清嵐
      佐野史郎 奥貫薫

第58回ベルリン国際映画祭最優秀アジア映画賞(NETPAC賞)、国際芸術映画評論連盟賞(CICAE賞)受賞。第20回東京国際映画祭「日本映画・ある視点」部門 作品賞受賞

1972年、河合楽器夏季保養所、浅間山荘において連合赤軍による人質篭城事件が起こった。
いわゆる”あさま山荘事件”である。その攻防は2月19日から2月28日までの10日間、約220時間に及び、人質を救い出した瞬間のTV中継はNHK、民放合計で90%弱という驚異的な視聴率をたたき出し、まさに日本中が固唾を呑んで見守った事件だった。逮捕者の証言によって12人もの同士殺しがセンセーショナルに報道されたことで、60年代から続いていた学生運動は下火となっていくきっかけとなった事件でもある。大きな社会的影響力をもつ事件だったにもかかわらず、あさま山荘事件を連合赤軍サイドから描いた映像作品はこれまで皆無に近かった。集団リンチ事件のイメージがあまりに強く、学生側からの視点で映像化するのはタブーとされていた感もあるこの題材に果敢に挑んだ作品が『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』である。監督の若松孝二は「これを撮らなければ死んでも死に切れない」と自宅と別荘を全部抵当にいれ製作資金を調達。その別荘はあさま山荘に仕立てて映画の中でぶち壊してしまった。まさに若松孝二監督入魂の一作となっている。

 

これまであさま山荘事件を描いた映画が全くなかったわけではない。
長谷川和彦監督も20年以上前から連合赤軍をとると宣言していた。あさま山荘に篭城した加藤兄弟末っ子の高校生を軸にした物語を考えていたようだが実現にはいたらなかった。また、高橋伴明監督も『光の雨』を製作したが、あくまで劇中劇扱いであった。1975年生まれの熊切和嘉監督『鬼畜大宴会』はあさま山荘事件での山岳ベース事件を彷彿させる内容であったが、あくまで“70年代の学生運動で起こった内ゲバ”を映像化してみただけで、ある種のホラー映画に近いという印象はぬぐいされないものだった。若松監督は「ふざけるな。彼らはまじめに革命を起こそうとしていたんだ。ああいう描き方をするな」と熊切監督にむかって直接言い放ったという。ただ、若松監督を一番怒らせたのは原田眞人監督『突入せよ!あさま山荘事件』だったようだ。この作品は事件当時、指揮をとった警察幹部佐々淳行氏のノンフィクションを映画化したものであるが、「あんな風に権力者側から一方的に描かれたらあそこで闘った若者があまりにもかわいそうだ。表現者は権力側から表現してはいけない。」と若松監督は怒りをあらわにし、この映画の製作する決意を固めていった。



僕自身、あさま山荘事件はリアルタイムで見ておらず、高校生のときに高木彬光の小説『神曲地獄編』を読んで事件のことを知り、この小説が事実に基づいているということにショックを受けた。集団リンチの描写ばかりが頭にこびりつきその時代背景やなぜこういうことが起こったのか?ということを考える余裕がなかった。トラウマになりそうだったので、以後あさま山荘事件に関する情報は意図的に避けていた。『突入せよ!〜』は観たが前述のとおり警察サイドからの視点だったため肝心なことは何もわからずじまい。個人的には、"あさま山荘事件"にこの映画ではじめて正面から向き合ったことになる。

若松孝二はなぜこの題材にこだわるのか?
まず1971年若松はパレスチナに飛び、足立正生と『赤軍派-PFLP 世界戦争宣言』を作っている。この事件で殺された遠山美枝子(映画では坂井真紀が演じている)は、この作品の上映運動を手伝っていたという。だから彼女の死に若松は大きなショックを受けた。その後、彼は『天使の恍惚』という作品を撮った。東京総攻撃をたくらむ革命組織が内部の裏切りから崩壊していき、個別に爆弾テロをくりかえすという内容で公開日はあさま山荘事件の記憶もまだ生々しい1972年3月11日だったこともあり、上映中止運動が起こってしまった。若松自身、まったくの部外者というわけではなかったのである。反権力を題材とした作品群が当時の学生たちの支持を集めていたことで公安からマークされており、若松プロダクションはたびたびガサ入れの対象となっている。



若松監督は「表現は何かに腹を立てないとできない。僕は権力に対して腹を立てていた」と語っており、反権力という点でこの学生たちにシンパシーを感じていたのだろう。
「近代でね国家と戦争したのは彼たちだけなんだよ。それを映画としてきちんと後世に残したい」と語っている。参照 若松孝二かく語りき

だからといって、彼らを必要以上に美化しているわけではない。
時系列どおりに事実を描く構成はドキュメンタリーに近い。
安保闘争で警察機動隊と激突する学生たち、デモの最中に東大生樺美智子が亡くなってしまうところから映画はスタートする。1963年のケネディ暗殺、64年ベトナム戦争、66年の中国の文化大革命、67年佐藤首相のベトナム行きに反対する学生と機動隊が衝突し、京大生山崎博昭が死亡したことで学生運動はさらに戦闘色を強めていく。

・69年東大安田講堂を占拠した学生と機動隊との攻防で600人を越える逮捕者が出る。塩見孝也が主催する関西派が赤軍派を結成するが大菩薩峠にある福ちゃん荘で一斉検挙。当時、赤軍罪という言葉があり、赤軍メンバーだというだけで逮捕されてしまっていた状況も語られる。

・70年、塩見も逮捕され赤軍派は撲滅状態となる。田宮高麿ら赤軍派9人が日航機「よど号」をハイジャックして北朝鮮へ

・71年塚田銃砲店襲撃(このとき調達した武器が浅間山荘での銃撃戦に使われている)、赤軍派国際委員重信房子がレバノンに脱出、資金はあるが幹部クラスを欠く赤軍派は、武器とアジトをもつ革命左派と「連合赤軍」を結成、全メンバーを共産主義化させることを行動指針とする。やがて山岳ベースでの軍事訓練が総括という名の同士殺しに発展し、浅間山荘での銃撃戦へと突き進んでいく...。

12人の殺害のエピソードをひとり残らず丹念に描き出していたのには驚いた。
若松監督はできるだけ正確に事実を記録することにより、「若者が本気で革命を起こそうとしていた」時代の空気を観客に感じ取らせようとする。

「山にきてまで化粧する」とののしられた遠山美枝子は総括として自分で自分の顔を殴ることを要求される。そして「男に媚びてきたその顔がどんなに変わったか見てごらん」と永田洋子に鏡を突き出され、その変わり果てた姿に思わず涙する姿は衝撃的だ。
また、加藤3兄弟の長男加藤能敬が総括の対象となり、未成年である弟2人は、実兄を殴ることを命令される。のちに加藤能敬は死亡。2人の弟は実兄の死に手を貸したことになってしまう。

懲役20年の刑を受けた植垣康博は出所後、田原総一郎氏のインタビューに答えて次のように話している。

「身体の髄から『私』をなくす。これが共産主義化だと教えられ、そう信じました。だから自分を総括するために、他人の総括を援助する。つまり、殴る、蹴る。それが同士愛で、全力で殴らないのは日和見主義者であるとして、その人間が総括の対象になる。だから死に物狂いで殴る、蹴る」

暴力は総括を助ける行為として正当化さえ、総括援助による死には「敗北死」と呼ばれた。
第三者から見るとリンチとしか思えないのだが...。

実際のところ、委員長である森恒夫と副委員長である永田洋子が「判決」を下しており、他のものは黙って従うだけであった。

資金調達のため、永田と森は東京に潜伏、ベースに戻る途中で逮捕されることになる。
食料調達のため出かけた4人(前述の植垣康博を含む)も逮捕されて、残された5人(坂口弘坂東國男吉野雅邦、加藤倫教、加藤元久)は浅間山荘に逃げ込み、管理人牟田泰子(当時31歳)を人質に篭城することになる。



言うまでもないことだが、ここからがこの映画のクライマックスである。
日本中を釘付けにした浅間山荘での銃撃戦を見ることができるからではない。
今まで我々が見てきたのは浅間山荘の外からの映像である。
ここではじめてそのとき、中で何が起こっていたのかを映像で見ることができるのだ。
あさま山荘に入ってからのディテールは、若松監督がパレスチナに出向いて坂東國男から直接聞いた話をもとにつくられている。決して想像の産物ではないのである。

坂口が「警察は民間人1人の命など何とも思ってはいない。狙いはわれわれだ。警察がきても(あなたは)われわれが守る」とあさま山荘管理人牟田泰子さんにつげる場面が出てくる。それに対して牟田は「あとで裁判になったとき私を証人に呼ばないでください」と言い放つ。しばしの沈黙のあと、坂口は「わかった」とぽつり。ここで牟田泰子さんが実際何を考えていたかは永遠に語られることはないだろうが、

"あなたたちは警察の「人質の命最優先」など単なる建前だといっているけど、自分たちはどうなの?私に紳士的な態度で接してくるのは、裁判になったとき有利な証言をしてもらいたいからじゃないの?”

そんな声が聞こえてきそうな"間"である。

食料として蓄えておいたビスケットを勝手につまみ食いした程度で「反革命分子」とされ、「総括」を求められる。ここで「彼は仲間だ。銃は権力に向けろ」「やっと本物の敵と戦っているんだよ」と反論が飛び出す。警察との銃撃戦を演じる段階でようやくこれまで同士を粛清してきた異常な状態を自覚せざるをえなくなる。

本来、反権力という同じ目的を掲げて集まった仲間のはず。人が3人いれば派閥が生まれる、というがその仲間内で権力争いがおき、権力者となったものは自分の地位を守るために仲間を粛清しようとする。本来外に向けるべき眼を内部により注ぎ始めたときから組織は崩壊がはじまる。多かれ少なかれどんな人の集まりにでも起こりうることである。この連合赤軍内で起こったことは究極のソレだと言ってよい。

そしてクライマックスは16歳の高校生、加藤元久の叫びである。

「みんな勇気がなかったんだよ」

総括という名のもと、同士を次々と殺していく。
「こんなの総括じゃない」
森と永田以外、おそらく誰もが思っていたであろうことを誰も口にすることができなかった。そんなことを言おうものなら自分が殺される...。兄を殺された少年の声は重い。この部分は脚色ではないかと思っていたが、これに近いことを少年が言ったのは事実で最後は皆自己批判させられたらしい。

かつて本気で革命を起こし権力と戦った若者がいた。
その若者たちがたどった道程を描き出したはじめての映像作品である。
暴力に訴えて革命を起こすという方法は明らかに間違っている。だからといって彼らは凶悪犯にすぎない、と切り捨てることからは何も生まれない。
革命とは言い換えれば"世の中を変えたい"という願いの結晶である。
この題材をとことん描ききることによって、若松孝二は「権力に立ち向かい、世の中を変えてやる」というエネルギーを次世代に伝えようとする。彼らの行動が間違っていたからといって、その根底にひそむ「世の中を変えたい」という想いまで否定されるべきなのか?そんな問いかけが聞こえてくるかのようだ。

ここまで作り手の執念を感じさせてくれる映画にはそうそうめぐりあえない。
映画の枠にとらわれず、ひとつの記録映像として傑出した作品だ。
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 2011.2.7追記。2010.2.5 元最高幹部の永田洋子死刑囚が多臓器不全のため東京拘置所で死亡。65際だった。最後まで反省の色がなかったという証言が数多く寄せられている。若松孝二監督は「事件で学生運動もすべてだめになった。そういうことを総括せず、森元被告に責任転嫁したまま死んでいった」と語っている。

主な参照資料
キネマ旬報no.1503
無限回廊:連合赤軍あさま山荘事件





 2011.6.2 追記 どこも報道していないようですが、この作品アメリカで公開がはじまった模様。May 27-30のweekend興行ランキングで85位初登場です。(1館のみで公開)
参考 United Red Army(Boxofficemojo)
2008.04.01 Tuesday | 02:14 | 映画 | comments(2) | trackbacks(8) |

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2020.09.28 Monday | 02:14 | - | - | - |

コメント

この映画、ご覧になったのですね。
私はこの事件の実況放送を、見ました。
子どもながら、ショックを受けたのを覚えています。
友達に永田洋子っていう同姓同名の子がいたので、よけい印象に残りました。
そのあとの、総括と称するリンチ事件のすごさも、新聞で読んでぞっとしました。
今から思うと、オウムの事件の犯人たちも似たようなところがありませんか?
それと、坂口弘は獄中から朝日歌壇に投稿して、歌人としても知られました。
2008/04/10 5:11 PM by honyomi
honyomiさん、こんばんわ。

オウムとの類似性はよく指摘されることらしいですが
若松監督も、そしてオウムのドキュメンタリーを撮影した森達也監督も
ともに(類似性を)否定しています。
自分も(うまくいえないのですが)、この2つの集団、
若者たちの参加動機が違うのでは?という気がしています。

あさま山荘事件をきっかけに、日本の学生運動は一気に下火になった。
この事件は、想像以上に当時の人たちの記憶に焼きつき、
とくに若い人たちの価値観に多大な影響を与えた出来事なんだな、と映画を観終わって感じました。
崩れ去るあさま山荘の映像は、当時の若者の夢が転がり落ちる象徴のように思えて
切なくもあります。
単なる善悪だけではわりきれない何かがこの作品の中には漂っている。
一度観たら絶対に忘れられない映画。
記録よりも記憶に残るこの事件の全貌を、時代背景を交えて
映像で描ききった若松監督の手腕には脱帽です!
2008/04/10 9:18 PM by moviepad

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