映画のメモ帳+α

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エディット・ピアフ 〜 愛の讃歌 〜

エディット・ピアフ 〜 愛の讃歌 〜 (2007 フランス・イギリス・チェコ)

「エディット・ピアフ 〜 愛の讃歌 〜」公式サイトにリンク原題   LA MOME 
監督   オリヴィエ・ダアン     
脚本   オリヴィエ・ダアン イザベル・ソベルマン     
撮影   永田鉄男                  
音楽   クリストファー・ガニング               
出演   マリオン・コティヤール シルヴィー・テステュー
      ジャン=ピエール・マルタンス

第80回(2007年)アカデミー賞主演女優(マリオン・コティヤール)、メイクアップ賞受賞。衣装デザイン賞ノミネート。

1992年(第65回)のアカデミー賞授賞式でプレゼンターとして登場したカトリーヌ・ドヌーヴは「フランス最高の輸出品」として紹介された。美しい輸出品という意味では間違いではないかもしれない。ただエンターテイメントの世界において「フランス最大の輸出品」はまさにこの人、エディット・ピアフではないだろうか。たとえシャンソンに興味がない人でもピアフの名前を聞いたことがない人はいないだろう。『愛の讃歌』『バラ色の人生』などは特に有名で、今でも喫茶店などのBGMでよく聞くことができる。亡くなってからもう40年以上たつのに、エディット・ピアフは今でもフランスはもちろん世界中で根強い人気がある。このフランスが産んだ不世出の大スターの生涯を描いたのが、この映画『エディット・ピアフ〜 愛の讃歌 〜』。母国フランスでは今年2月に公開されるや8週間で観客動員500万を超える大ヒット。フランス国民10人に1人が見たといわれており、根強いピアフ人気が証明された。ピアフを演じたマリオン・コティヤールの演技は絶賛され、2008年のアカデミー賞主演女優賞ノミネートが確実視されている。



 以下ネタばれ大全開ですので、未見の方は映画をご覧になった後でお読みいただいたほうがいいと思います。

 ピアフ伝説のはじまり

ピアフが生まれたのは1915年12月19日。パリ、ベルヴィル街72番地の路上で生まれたといわれている。ただ、実際は路上ではなくアパルトマンの屋根裏部屋で、警官のマントの上で生まれた。エディット・ピアフの人生については、無数の伝記、説明が乱れ舞っていることから同じ出来事について多数の"真実"があり、書き手が"理想のピアフ像"をそれぞれ好きなように描いている感がある。彼女の生き方が伝説化しており、多くの人々をひきつけてやまない証拠なのだろう。

父親ルイ・アルフォンス・ガションは大道芸人、そして母親アネッタはリーヌ・マルサという芸名を持つカフェの歌手だった。母親は生まれたばかりの娘を捨てて駆け落ち、父親も面倒をみることができず売春宿を経営する祖母ルイーズにピアフを預ける。ピアフは娼婦ティティーヌをはじめとした、たくさんの"母親"たちに可愛がられることになる。

衛生環境が悪いためか、ピアフは3〜4歳ころに角膜炎のため失明。そこで視力回復を祈って娼婦たちは聖女テレーズの墓参りを行った後、奇跡的に目が見えるようになる...。これも有名なピアフ伝説のひとつ。実は角膜炎が自然に治っただけというのが真相のようだが、娼婦たちは聖テレーズの墓にお祈りをしたからだと信じている。その後、ピアフは聖テレーズの十字架を手放す事はなく、舞台に立つ前、必ず十字を切った。

ピアフは街で見かけた娼婦に自分のコートをあげてしまうことがあった。
「彼女はわたしより毛皮のコートが必要なのよ」
また浮浪者に大金をポンと手渡すこともたびたびだったという。
ピアフのこの習癖は、少女時代の傷によるものが大きいだろう。

ミロール』・・・亡くなる1年前、1962年の映像のようです。ミロールとは港町の娼婦が客を呼び止める時に使った言葉。




 ストリート・シンガーの誕生、モモーヌ...

やがて父にひきとられ、サーカスの一座に同行して旅をつづけながら路上で歌う日々がつはじまる。 父の芸が不発に終わったあと、観客に「その娘にも何かさせろ」と野次られたため、ピアフがフランス国歌『ラ・マルセイエーズ』を歌う場面が映画に出てくる。
ここで観客はピアフの歌声のすばらしさに小銭を払う。ここでピアフは自分の力でお金を稼ぐ手段を知り、父の元を飛び出すことになる。その後、貧乏仲間モモーヌごとシモーヌ・ベルトーに出会い、ピアフが街角で歌い、モモーヌがお金を集めるという日々が続く。モモーヌは後に「自分はピアフの本当の妹だ」と偽るようになり(映画にも出てきます)ピアフの人生に出たり入ったりしており「彼女は私の悪霊だった」と後にピアフは語っている。モモーヌの悪行にピアフが目をつぶっていたのは彼女が自分の惨めな少女時代の象徴のような存在だったからだろう。モモーヌは後に『愛の讃歌―エディット・ピアフの生涯』を出版している。


 ルイ・ルプレ 〜 エディット・ピアフの誕生

♪スズメのように口を開けて
♪スズメのようにずうずうしい目つきして
♪二羽のスズメのように愛を歌う

フレエルのシャンソン『雀のように』を街角で歌うピアフに声をかけた男がいた。
高級ナイトクラブ「ジャルニーズ」の経営者ルイ・ルプレである。
ルプレはピアフの才能を見抜き、専属契約を結んだ。
ルプレは彼女に、後の芸名となる「小さなスズメ」(La Môme Piaf)の愛称を与えた。クラブデビューするや大評判となり、ピアフはたちまちシャンソン界の人気者に。ルプレはピアフをとても可愛がり、ピアフも"パパ・ルプレ"と呼んで慕っていた。

ところが、ある日悲劇は起こった。ルプレが金目当てのチンピラに殺されてしまったのだ。殺人事件は大スキャンダルとなり、ピアフは当然のように容疑者扱いされた。事件直後のピアフの映像を観ると少女ピアフは下をむいてうつむくばかり
「事件には知人が関与しているのでは?」と質問されると「疑われたくなかったので誰と一緒にいたかを答えただけです。事実を話しただけで誰も告発していません」
「ルプレ氏とは?」「私にはもう友達が誰もいない。かまわないで!ほうっておいて!」と泣き崩れている。実は警察はピアフが事件と無関係であることを最初から知っていた。動揺するピアフにつけこんで、彼女が付き合っていたチンピラの情報を集めようとしたのだ。

ルプレの死はピアフに再び街角に戻って歌わなければ生きていけない可能性を示唆していた...。そこで救いの手を差し伸べたのが作詞をはじめたばかりだったレイモン・アッソー。彼は3年間かけてピアフにたっぷりしみついた毒をそぎ、多くの人に彼女の歌が伝わるように調教していく。パリの名門ミュージック・ホール「A.B.C」でのステージにピアフをデビューさせる。
「ラ・モーム・ピアフは死んだ。エディット・ピアフ万歳!」
この新聞見出しとともにエディット・ピアフが誕生したのである。

後年ピアフはルプレ事件当時にふれ「ルプレが死んでしまってから私はずっと悲嘆にくれていた。神様を恨みながらただ歌っているだけ。観客からの"ブラボー!"だけが生きがいだった」とコメントしています。『道化師万才』という曲ではピアフのドスのきいたブラボーを聴くことができるがあれは自分に向けて歌っていたのだろうか?「ジャルニーズ」や 「A.B.C」という、"場違いな場所"での初歌唱後、ブラボー!の声にほっとしたように微笑むピアフの姿は映画でもしっかり描かれている。

また少し話がそれるが「今からクソレコーディングをするのよ」というセリフも映画に出てくる。ピアフはレコーディングはあまり好きではなかったのだろうか?ピアフは、ライブでの歌唱のほうが録音されたものよりも迫力があることが多い。ライブでの歌唱はまさにひとり芝居といった感があり、眼で手振りでそして歌声でピアフの情熱は最大限に表現されている。路上からのたたき上げ、聴衆の反応がダイレクトに返ってこないと燃えないタイプなのだろう。最後の夫、テオ・サラポは「彼女は自分の命は聴衆のもので、聴衆はすべてを知る権利があると思っていた」と語っている。


 アメリカ進出

ピアフはアメリカに進出するが、当初は惨敗の憂き目にあう。おしゃれなパリ娘を期待していたアメリカ人は黒ずくめの小柄でやせた女性に興味を示さなかったのだ。ピアフが"お供”として連れて行ったコーラス・グループ「シャンソンの友」だけが売れっ子になるという皮肉な結果となっていた。

「どうせ私はセクシーじゃないわ」
「お尻に羽根つけてカンカンでもすれば、アメリカ人は喜ぶのかしら」
こういって嘆くピアフが映画の中で登場します。天下のエディット・ピアフ、それを指をくわえてただ眺めていたわけではない。必死で英語を習得し、ニューヨークで一番上品なクラブ<ル・ヴェルサイユ>を借りてショーを行った。ショーは大盛況で。これをきっかけにピアフはアメリカでも女王の座に君臨。生涯の友情をはぐぐむことになるマレーネ・ディートリッヒと出会うのもこの頃である。

ピアフはアメリカの人気TV番組「エド・サリバン・ショー」へ8度も出演するまでの人気者となり、カーネギー・ホールでも公演を行っている。実際、フランスとはあまりにも土壌空気の違うアメリカでこれほど受け入れられるフランス人歌手は前にも後にもエディット・ピアフだけだろう。この映画『エディット・ピアフ 〜 愛の讃歌 〜』はアメリカでもすでに公開され、外国語映画としては十分にヒットと呼べる結果となっている。『バラ色の人生』は1998年のグラミー賞名誉賞を受賞した。


マルセル・セルダンとの"世紀の恋"

ある日、マルセル・セルダンがピアフに電話をかけたことをきっかけに夕食をともにした。1947年のことであった。2人は以前に一度パーティで会ったことがあるだけだったが、フランス人で、かつアメリカの人気者という共通点があった。
ここから世紀の恋がはじまるのである。
セルダンはあらゆる点でピアフにとって新鮮だった。
まずボクサーであるということ。相手の男を仕事上援助する必要がない。2人は対等な関係だった。ピアフいわく「単純で、控えめで、善良な男なの。わたしたちは年金生活者のような夜をすごした。彼は町でふざけたりしなかった」マルセルは1948年にミドル級世界チャンピオンになる。
だが、妻子ある身であった。2人とも多忙な有名人だったが時間をやりくりして逢瀬を重ねていた。



1949年10月27日ピアフはニューヨークで公演中だった。
マルセルは船でピアフのもとに行く予定だったが
「とても待てないの、飛行機で来て!」
マルセルが乗った飛行機はアゾレス諸島で墜落した。

アコーディオン奏者のマルク・ボネルによるとピアフにこの事実をどう伝えるか悩んだという。彼女は彼の表情を見て察し「マルセルに何かあったの?」
"飛行機事故があった。生存者はいない"

映画ではすぐ半狂乱状態になっている。
だがマルク・ボネルの話ではその事実を聴いた瞬間、ピアフは黙って立ち尽くしていたそうだ。もちろん陰では涙が枯れはてるほど泣いていた...。ピアフはその日もニューヨークで<ル・ヴェルサイユ>でのステージが控えていた。ピアフは予定通りステージに立つ。5曲歌い終えて次は『愛の讃歌』というときに彼女は倒れてしまう。それでも翌日のステージは長い行列ができた...。

名曲『愛の讃歌』はマルセルの死を悼んで作った歌として長い間知られていた。だが、実は飛行機事故以前に出来上がっており、ピアフがマルセルとの不倫に苦しみそれを清算するために作った曲であることが明らかになっている。結局『愛の讃歌』がはじめて公の場で歌われたのは翌年1950年である。

Edith Piaf - La Vie En Rose



 破滅への道...

セルダンの死後、ピアフは食事もとらず薬づけの日々。
起きているときは泣いてばかりの状態だった。
そんなときセルダンと同じ飛行機事故で死亡した娘の母親が、ピアフに電話をかけてきた。私は交霊術に使う円卓を使って、亡き娘と話すことができた...。これが地獄の始まり。ピアフは円卓を使ってマルセルと話をするという考えに取り憑かれてしまった。部屋の電気もつけずに彼の名を呼び念じ続ける...。

セルダンの死後、ピアフは交通事故、病気、薬、麻薬...まさに支離滅裂状態でひたすら破滅の道を歩むことになる...。酒と麻薬をチャンポンにして飲むこともあったそうだ。

前述のモモーヌごとシモーヌ・ベルトーが書いた『愛の讃歌―エディット・ピアフの生涯』によると

「1951年から1963年までに、エディット・ピアフは、自動車事故4回、自殺未遂1回、麻薬中毒療法4回、睡眠療法1回、肝臓病の昏睡3回、狂気の発作1回、アル中発作2回、手術7回、気管支肺炎2回、肺水腫1回を経験したことになる」そうです。

映画では円卓と交通事故が少々出てくる程度で、この"混乱と無秩序"状態はほとんど描かれていない。むしろ病気になって療養に入った後のことが中心となっている。


私は後悔していない

映画『エディット・ピアフ 〜 愛の讃歌 〜』を見れば、ピアフの人生上の出来事が網羅されていると思ったら大間違い。ピアフの壮絶な人生を2時間足らずで語り継ぐなどピアフ本人でも不可能だろう。
ピアフの人生など文字通り”耳たこ状態”のフランス人が観ることを前提に作られている。そんなご親切なことはしてくれない。

ドイツ軍占領時にフランス人捕虜を”解放”したこと、イヴ・モンタンとの恋愛、「シャンソンの友」、ジャン・コクトーとの交流、豊富すぎる恋愛経験、マルセル死後の無秩序状態、2つの結婚...絶好の物語ネタをことごとく外している。それは、この映画『エディット・ピアフ 〜 愛の讃歌 〜』がピアフの人生、そして歌の世界を理解するうえで絶対に外せない精神的外傷(トラウマ)となっている体験に絞って描くことを目的としているからだ

ところでピアフを語るとき、よく使われるのが"悲劇の女王"、"壮絶な人生"などという言葉である。"壮絶な人生"について否定する人は誰もいないだろう。だが彼女はいつも悲しみに打ちひしがれていたのだろうか?

ピアフの重要なパートナーだった作詞家のアンリ・コンテは
「彼女は陽気で、強い生命力に溢れ、機知に富み、滑稽さをもちあわせていた。聴衆が喝采する心引き裂かれたピアフは、プロとしてのピアフだった。実生活ではそれほど悲痛だったわけではない。彼女はほんとうに軽々と、悲しみや別れをまたいでいったのだ」
とコメントしている。イヴ・モンタン ぼくの時代―花開くまで」より引用。

確かに歌っているとき以外のピアフには悲痛な影はあまりない。数多く残されているピアフの記録映像を見ても、彼女が少女のように笑いユーモアにあふれた女性であることがよくわかる。また、コンテは次のようなコメントも残している。
「彼女が涙に濡れながら次の男のことを歌うのを舞台裏から見ていることくらい感動的なものはなかった」

ピアフの愛と歌についてのコメントである。以下「ピアフ愛の真実」より引用

「彼女は熱狂したり打ちのめされたりしなければ歌わなかった」(イヴ・モンタン)
「歌うたびに、彼女は自分の魂を最終的に引き剥がしているように見える」(ジャン・コクトー)
「生まれたばかりの愛だけが彼女の興味をそそった。...あとはいつも同じだった」(シャルル・キーフェール)
「ピアフの愛の平均持続期間は2年」(アンドレ・ビガール)
『なぜ男たちは彼女のもとを去るのか?それは、ピアフが自分のリズムで生きることを男たちに強制するので、男たちが極限まで疲れきってしまうからだ。彼女は朝8時に眠りにつく。だれも耐えられない。』別れるかノイローゼになるか、どちらかだった。ジャック・ピルズはうつ病すれすれのところまで追いつめられた。彼女といっしょにいたら、アスレチック選手たちも半年のうちに骸骨になった。(ミシェル・リヴゴーシュ)

(以下は「ピアフ愛の真実」の原文のモニク・ランジュの記載)
彼女は夜の10時にフォーレを歌って大騒ぎをし、夜明けの2時か3時ころに、彼女の専属のピアニストやアコーディオン弾きを<仕事のために>呼び出した。それは、夜に対する恐怖を追い払うためで、彼女はこの夜の暴虐行為を死ぬまで実行した。

彼女は愛の傷が好きだった。愛の苦しみが好きだった。その苦しみを彼女自身にもたらすものが好きだった。彼女は愛の苦しみよりよいものは決して見つけなかった。

同情と同一化、彼女にとってはすべてが複雑だった、彼女は娼婦気取りだった。そして無理やり男たちに自分を捨てさせた。実際は、彼女が男たちから離れていったのだ。彼女は常に犠牲者の影があって、歌の中でもこの犠牲者を歌っていた。



このような記述を読み続けているとピアフは恋愛においては愛しているという状態が好きで最初から別れを想定している。そしてその悲しみを文字通り芸のこやしとして蓄えていく....。無意識のうちにそういう作業を繰り返していたとしか思えないのである。マルセル・セルダンとの"世紀の恋愛"が忘れられないものになったのはそれが"死別"であったからだ。思い出は彼女を裏切らない。

ピアフを完全に打ちのめしたのは、少女時代を別とすればまったく予期せぬ出来事であった“恩人ルイ・ルプレの死去”、"最愛の人マルセルの飛行機事故”、その2つの”死別”と病気だけだったのではないか?それを見抜いて、映画『エディット・ピアフ 〜愛の讃歌〜』では有名なイヴ・モンタンとのロマンスまでカットし、彼女に決定的な打撃を与えた出来事のみをピックアップしているのである。

ピアフの写真や映像を見ていつもぼんやり思うことがあった。
彼女には少女と老女の顔しかない。
いいかえればその間がごっそり抜け落ちている感がある。
具体的には、恋愛面は少女で歌は老女。
ピアフにとっては愛と歌が人生のすべてだった。
この映画で少女時代をじっくり描き、後は晩年を中心に描いたのは的確な演出だと思う。さすがにマルセルとの恋愛はカットできなかったが、それでも比較的あっさりしている。ここを重点的に描きたかったのならその後の大混乱もじっくり見せたはずだ。

「もし私が燃えなかったら、歌うことができると思うの?」
かつてピアフはこう言った。
過去などふりかえっていたら燃えることができなくなってしまう。
ピアフにとっては「歌うことが人生」
燃え続けるためには、そして歌い続けるためには、常に新鮮な恋愛が不可欠だった。映画で病気療養中の場面がよく出てくるのは、この時期はいやでも過去を振りかえざるをえなかったからである。通常のピアフは文字どおり"今、この瞬間"のみを生きていた。今を生きざるをえなかった。

病気に苦しむピアフのもとにシャルル・デュモンが「水に流して(私は後悔しない)」を売り込みにくる場面が出てくる。まさにこの映画のハイライトシーンだ。

♪いいえ、私は何も後悔していない。
私は代償を払った。清算した。忘れた。
過去なんてどうでもいい。

♪私はまたゼロから出発する

♪私の人生も 私の喜びも
今は あなたといっしょにはじまる

「これこそ私そのもの!私の歌よ!」
ピアフはすぐ採用を決めた。肉体的にはすでに数年前から死人状態といわれていたピアフにこの曲は莫大なエネルギーを与え、中止を検討していたオランピア劇場の公演を決行。この曲のお披露目をした1960年12月29日のオランピア劇場公演は大成功。奇跡の復活と呼ばれた。「水に流して(私は後悔しない)」はエディット・ピアフ最後の大ヒット曲となる。

ピアフの周囲の人々は「彼女は暴君だったが、その裏側にはいつも少女時代の傷があった」と口をそろえていう。ただし、ピアフは少女時代の不遇について周囲に不平をもらすことはなかったという。
もしあんなふうに生きてこなかったら、私はピアフになれなかった
というのがピアフの口癖だった。
「もし人生をもう一度やり直すとしたら」
インタビューで聞かれたピアフは、ひと言。
同じよ
そして『道化師万才』の歌詞にあるごとく、聴衆はその「ついてない人生」に死後40年以上たった今でも喝采を送り続けているのである。

水に流して(私は後悔していない)』・・・ピアフの顔はやせほそり声は細くなっている。それでも眼力の強さは変わらない。自分にいいきかせるように歌うピアフに凄みを感じる
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2007.09.30 Sunday | 02:23 | 映画 | comments(18) | trackbacks(30) |

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2019.10.20 Sunday | 02:23 | - | - | - |

コメント

すごい〜素晴らしい記事ですね。
彼女の半生もわかりやすく丁寧にまとめられているし、少女と老女〜のくだりにも同感です。
2007/09/30 1:59 PM by Cartouche
Cartoucheさん、こんにちわ!
コメントありがとうございます。

ピアフは自分でも認めているとおり、それほどの美女でもなければ、スタイルがいいわけでもない。
でも少女のような顔で彼女に見つめられるとオトコはイチコロだったそうです(笑)
マリオン・コティヤールはそのピアフの中の"少女と老女"を実にうまく演じてましたね!
2007/09/30 2:30 PM by moviepad
スゴいレビューですね。思わず、ぽちっしました。
ゆうつべの画像も、パパ・ルプレの死後のもあり、驚きです。
確かに、ピアフの生涯はこの映画だけでは描ききれないでしょうね。
いやいや、読ませて頂いて、ありがとうございました。
2007/10/03 10:40 AM by あん
あんさん、こんばんわ。
ぽちっていただいてありがとうございます。m(_ _)m
最近、ランキング大低迷中(泣)なので嬉しいデス。

ラストの「私は後悔しない」の場面は
ピアフについて予備知識があるかないかによって違った解釈が成り立つと思います。
でもそのどちらが正しくてどちらが間違っているなんてことはないんじゃないかと...。
そうピアフ伝説は人の数だけあるのです(笑)

従来の伝記映画とは違って
含みをいっぱいもたせたアプローチは新鮮でした。
今年最も印象に残った映画のひとつです。
もう一回観たい!!!
2007/10/03 8:19 PM by moviepad
こんにちは!
私は恥ずかしながらエディット・ピアフを全く知らずに映画を観ました。
時系列が複雑だった映画で、エディットの人生が波乱万丈だったことは分かりましたが、それよりもmoviepadさんの記事の方がエディットについて詳しく教えて下さいましたわ!
素晴らしい記事を拝読させて頂きました〜

マリオンの演技は凄かったですね〜
素晴らしい演技力でした。ただ私は少々「やり過ぎ?」とも感じてしまったのですが・・・きっと少数派の意見でしょうね(汗)
2007/10/04 5:44 PM by 由香
由香さん、こんばんわ!

>moviepadさんの記事の方がエディットについて
詳しく教えて下さいましたわ!

ありがとうございます!!!
でもこれはほんの一部です(^^;
映画が描いていないことを
だらだらと書き連ねるわけにもいきませんので...。

>ただ私は少々「やり過ぎ?」とも感じてしまったのですが・・・
>きっと少数派の意見でしょうね(汗)

ピアフが亡くなって40年以上たってますので
少数派の意見かどうか正確に判断できる人は
あまりいないのでは?

僕も直前にドキュメンタリーとかyoutubeとかを見た程度です。
でもマリオンの演技は全く違和感なかった。
ピアフそのものに見えました。!

話はそれますけど
この記事にはったyoutubeの『ミロール』の映像は特にお気に入りです。
歌い終わった後観客のブラボー!の声に押されて何度もステージに戻ってくるピアフ...。
歌っているときの老婆顔から少女顔に変わっている。うーん、いい映像だ(笑)
2007/10/04 7:55 PM by moviepad
TB&コメントありがとうございました〜

moviepad さん、こんばんわ☆

映画自体は、なぜ時間軸を錯綜させる必要があったのかいまだに理解できませんが、ピアフ本人を体現できたこの映画は、それだけで素晴しかったデス。
この映画に出会ってはじめてピアフという存在を知りましたし、彼女の歌はまさに神に授かった芸術そのものという感じがしました。シャンソンをあまり聴かない私でもピアフのCDが欲しくなりました。それだけでも価値ある作品ですね。
2007/10/06 9:04 PM by rikocchin
rikocchinさん、こんばんわ!

僕はピアフには以前から興味があり、
数年前、2枚組のベストCDを購入しました。
でも古い音源のため音質が悪く
蓄音機で聞いているような錯覚(笑)を覚えたため
何度か聞いただけでCDラックの隅で埃をかぶっておりました。

この映画の公開のニュースを聞いて
久しぶりにCDを聞いてみたら、
...はまってしまいました。
もちろん映画は堪能しました!


>なぜ時間軸を錯綜させる必要があったのかいまだに理解できませんが、

これは正直いって自分もあまり自信がなく、かつネタバレ過剰になってしまうため
記事の中に入れなかったのですが....

-------以下 大ネタバレコメント。映画未鑑賞の方は決して読んではいけません!!!----------








この映画は
1 ピアフがステージで倒れる→交通事故等で療養
→「私は後悔していない」でオランピア劇場で奇跡のカムバック
2 少女時代からデビュー→スターになりアメリカに進出→マルセルとの恋愛

主にこの2つの時間の流れを交互に映し出しています。時間軸どおりだと2→1の順になりますね。
ラスト近くになって、ピアフの死の直前の回想場面が出てきます。

思うに

1の部分は伝記映画としての事実描写。
2の部分はピアフの、死の直前の回想

を意味していたのではないかと。

そしてラストの「私は後悔しない」の場面に

・1のストーリーのラストとしての実際の出来事の再現
・「私は〜」の歌詞の内容を通して、死間際のピアフの気持ちを表現

という2重の意味をもたせた。

ラストで2つの物語を重なりあわせるための演出なのではと個人的には解釈しています。



--------------------大ネタばれコメント終わり------------------------------



うー、自分でも何書いているかよくわからなくなってきました(^^;
もう1回観たら新たな解釈が出てきそうな映画です!
2007/10/06 10:49 PM by moviepad
とても記事がわかりやすかったです。おまけに動画も!勉強になります。
ピアフが文字通り男たちとの恋愛を芸の肥やしにしてきたのではと言うのに、納得しました。
彼女は歌のために自分の全てをささげてきたのでしょうね。
TBさせてくださいねー
2007/10/07 2:16 AM by カオリ
カオリさん、こんばんわ!

>とても記事がわかりやすかったです。おまけに動画も!

ありがとうございますm(_ _)m

>ピアフが文字通り男たちとの恋愛を芸の肥やしにしてきたのではと言うのに、納得しました。

本人はそういう意識はしていなかったのかもしれませんが..。
熱しやすく醒めやすいタイプの人だったのでは?と思っております。

ピアフほど歌と生き方が一致している人ってそうそういないでしょうね。

2007/10/07 7:37 PM by moviepad
 こんにちは♪
 TBどうもありがとうございました。

>彼女には少女と老女の顔しかない。

 これ、すごくハッとしました。
 たしかに、そうかもしれません。
 
 マリオン・コティヤールは、大熱演でしたね。
 とてもよかったです。
2007/10/08 5:46 PM by miyukichi
miyukichiさん、こんばんわ

ピアフは少女と老女の顔の落差が魅力のひとつだと思います。
でもそれが彼女の生き方を象徴しているような気がします。

すいません。
こういうことはあまり言いたくなのですが...

当ブログ、コメント無しTB、OKですので
もしコメントを入れていただける場合は、TBと同時にお願いします。
2007/10/08 9:22 PM by moviepad
エディット・ピアフには、いろいろな「ネタ」があるんですな。
私は全然知らなかったので、これを読んで、よく映画化する気になったもんだと、むしろ、そう感じました。
これだけの生涯だと、単純に単線的につないでいくような手法では、やはり困難だということがよくわかりました。
2007/10/18 9:59 AM by syunpo
syunpoさん、こんばんわ

ピアフに限らず、ひとりの人間の生涯を
2時間足らずで語るというのは到底無理な話。
そこが伝記映画の難しさですね。

伝記映画を誰もが納得する作品に仕上げるのは至難の業だと思います。
観客がその人のどの部分(仕事上の業績、人間的な素顔.etc..)に
興味があるかによって評価も分かれるでしょうから。

この映画は、ピアフの生涯の中で絶対に外せない箇所だけをピックアップして
かつ単調にならないようにうまく散りばめて編集していると思います。
久しぶりに、良質の伝記映画を観た気がしました!
2007/10/18 8:45 PM by moviepad
moviepadさん、こんばんは。
この記事を読んで、涙せずにはいられませんでいした。映画を見た時と同じ、感動が押し寄せてきましたよ。
素晴らしい記事でした!!本当に読ませていただき、ありがとうございます。

ところで、私は、最後の回想は、ピアフの見た、夢であって、幻だったと思っています。
つまり、ピアフの居たかもしれない、子供については、彼女の願望であって、事実ではなかったと考えています。
mpviepadさんはいかがお考えですか?
2007/11/20 8:13 PM by とらねこ
とらねこさん、こんばんわ

>この記事を読んで、涙せずにはいられませんでいした。映画を見た時と同じ、感動が押し寄せてきましたよ。

ありがとうございます。
私もこのコメントに涙しました。
とても嬉しいです!

>ピアフの居たかもしれない、子供については、彼女の願望であって、事実ではなかったと考えています。

うーん、素敵な解釈ですね。
でも、あれは事実のようです。
ピアフは18歳のときに付き合っていた少年の子供を産みました。
決して子育て放棄していたわけでなかったようですが、
彼女自身が"家出少女"ゆえ街角で歌ってお金を稼がなければ生活できなかったため、
なかなか子育てに手が回らなかった。
自分が参照した伝記本によると
"ピアフ自身育てられた記憶がないので、子供の育て方を知らなかった"ため
2年後に小児性髄膜炎で亡くなってしまった。
お金がなく埋葬は死後1ヶ月たってからやっと行ったといいます。
ピアフの人生観に大きな影響を与えた出来事でしょうね。
2007/11/20 10:30 PM by moviepad
moviepadさん こんにちは。
いつもTBを送るばかりで申し訳ありません。こちらのブログの記事の詳しさにはいつも教えられ示唆を受けておりました。
ピアフに関してもこれだけ詳しい解説は他にありませんね。僕は自伝や伝記などはあまり読まない方なので、ほとんど知らないことばかりでした。
一つの曲の背後にどれだけの事実が隠れているか、どれほどの思いが込められているかを教えられた映画でした。こういう作品と出会えるから映画を観続けているのだと思います。
2008/04/28 12:09 PM by ゴブリン
ゴブリンさん、こんばんわ

こちらこそいつもTBのみで失礼しております。

ゴブリンさんにこういっていただけるとは...
恐縮です。

ピアフについては以前から興味があったので
かなり予習をしてこの映画を観ました。
従来の伝記映画とは一味違う切り口をすっかり堪能しました。
ピアフの歌を聞きたくなったときに
時々見直してみたい映画です。
2008/04/29 3:19 AM by moviepad

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感想/エディット・ピアフ 愛の讃歌(試写)
マリオン・コティヤール、あっぱれ! 『エディット・ピアフ〜愛の賛歌〜』9月29日公開。フランスの伝説的シャンソン歌手エディット。路上で歌っていた母、大道芸人だった父、クラブオーナーに見出され、燃えるような恋をした、その生涯を紐解く。 映画『エディット・
(APRIL FOOLS 2007/09/30 10:27 AM)
『エディット・ピアフ 愛の賛歌』
(原題:La Mome) ※映画の核に触れる部分もあります。 鑑賞ご予定の方は、その後で読んでいただいた方がより楽しめるかも。 ----これって伝記映画だよね? 「うん。でも相当に凝った作りとなっている」 ----えっ?大河ドラマじゃニャいの? 「一応はそうなんだけ
(ラムの大通り 2007/09/30 10:29 AM)
エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜
LA MOME(2007/フランス=イギリス=チェコ)【劇場公開】 監督:オリヴィエ・ダアン 出演:マリオン・コティヤール/シルヴィー・テステュー/パスカル・グレゴリー /エマニュエル・セニエ/ジャン=ポール・ルーヴ/ジェラール・ドパルデュー 愛を生きた世界の歌
(小部屋日記 2007/09/30 11:43 AM)
『エディット・ピアフ 〜愛の讃歌〜』
監督:オリヴィエ・ダアン CAST:マリオン・コティヤール、ジェラール・ドバリュデュー 他 1915年、パリで生まれたエディットは、父親の実家の売春宿で育てられた後大...
(Sweet* Days** 2007/09/30 1:55 PM)
*エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜*
{{{   ***STORY***    2007年        フランス=チェコ=イギリス 1915年にパリのベルヴィルで生まれたエディットは幼くして両親と生き別れ、祖母が営む娼館に身を寄せる。一度は失明したものの奇跡的に回復し、後に大道芸人の父に引き取ら
(Cartouche 2007/09/30 1:55 PM)
エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜
わたしは後悔しない
(悠雅的生活 2007/10/02 8:27 PM)
エディット・ピアフ 愛の賛歌
往年の名歌手、エディット・ピアフを描いた作品です。 1915年、パリのベルヴィルで誕生したエディットは、幼くして両親と別れ、父方の祖母が営む娼館に身を寄せました。そこで、娼婦のティティーヌに可愛がられますが、角膜炎で失明。けれど、奇跡的に回復します。そ
(日っ歩〜美味しいもの、映画、子育て...の日々〜 2007/10/02 9:00 PM)
エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜
エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜’07:フランス=チェコ=イギリス ◆監督・脚本:オリヴィエ・ダアン「クリムゾン・リバー2 黙示録の天使たち」「いつか、きっと」 ◆出演 :マリオン・コティヤール、ジェラール・ドパルデュー ◆STORY◆1915年にパリのベル
(C'est Joli 2007/10/02 11:21 PM)
エディット・ピアフ 愛の讃歌
あなたの燃える手で、あたしを抱きしめて... 越路吹雪の『愛の讃歌』の生みの親がエディット・ピアフである、という事くらいしか知らない。 そして、この『愛の讃歌』がピアフが最も愛した男マルセルが飛行機事故
(描きたいアレコレ・やや甘口 2007/10/03 10:41 AM)
映画:エディット・ピアフ 愛の讃歌
エディット・ピアフ 愛の讃歌(TOHOシネマズ六本木ヒルズ) 「歌わなければ人生じゃないわ」 美○ひばりさんのようなかんじ?と想像していったのですが、見た目は(故)美白の女王っぽい。 晩年と生い立ちが交互にでてくるのですが、苦労人の割には悲哀をそそ
(駒吉の日記 2007/10/04 2:57 PM)
エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜
誰でも一度は耳にした事があるであろう『愛の讃歌』を大画面で聴きたくて鑑賞―【story】『愛の讃歌』など、数々の名曲で世界中を魅了した伝説の歌姫エディット・ピアフの生涯を描く伝記ドラマ―歌手を目指す母アネッタ(クロチルド・クロー)の娘エディット(マリオン
(★YUKAの気ままな有閑日記★ 2007/10/04 5:39 PM)
エディット・ピアフ 愛の賛歌
えでぃっと・ぴあふ??
(映画を観たよ 2007/10/04 8:22 PM)
「エディット・ピアフ~愛の讃歌~」レビュー
「エディット・ピアフ ~愛の讃歌~」についてのレビューをトラックバックで募集しています。 *出演:マリオン・コティヤール、シルヴィー・テステュー、パスカル・グレゴリー、エマニュエル・セニエ、ジャン=ポール・ルーヴ、クロチルド・クロー、ジャン=ピエール・マ
(映画レビュー トラックバックセンター 2007/10/05 3:17 PM)
エディット・ピアフ〜愛の賛歌〜
歌に生き、愛に生きた、47年の奇跡。世界の歌姫__涙と喝采の物語。 1915年にパリのベルヴィルで生まれたエディット。世界は第一次世界大戦の真っ只中である。彼女の母親は路上で歌を歌い、その僅かな収入で彼女を養っていた。やがて、幼くして祖母が営む娼館に
(パピ子と一緒にケ・セ・ラ・セラ 2007/10/05 8:31 PM)
彼女の気持ちしか見えないのが残念。『エディット・ピアフ 〜愛の賛歌〜』
世界的に有名なシャンソン歌手エディット・ピアフの生涯を描いた物語です。
(水曜日のシネマ日記 2007/10/06 10:32 AM)
「 エディット・ピアフ 〜愛の讃歌〜/LA VIE EN ROSE  (2007) 」
【 エディット・ピアフ 〜愛の讃歌〜 】9月29日(土)公開 監督  : オリヴィエ・ダアン
(MoonDreamWorks★Fc2 2007/10/06 6:33 PM)
エディット・ピアフ 愛の讃歌(07・仏・英・チェコ)
歌ってこそエディット。 本年度アカデミー賞の呼び声が早くも上がっている本作。時間軸を交錯しながら進むピアフの物語は、どこを切り取っても、壮絶な人生だ。 1915年にフランスの貧しい街で生まれた彼女は、47歳で生涯を終えた。どの生涯はいまだ謎に包まれてい
(no movie no life 2007/10/07 2:45 AM)
エディット・ピアフ 〜愛の讃歌〜 [Movie]
 映画 「エディット・ピアフ 〜愛の讃歌〜」     (オリヴィエ・ダアン:監督・脚本)  を観てきました♪    エディット・ピアフの名前は知っていても、  「フランスのシャンソン歌手」という以上には  あまり知識がありませんでした。  代表曲である「愛
(miyukichin’mu*me*mo* 2007/10/08 2:20 AM)
『エディット・ピアフ 〜愛の賛歌〜』 ★★★・・
もちろん「愛の賛歌」は知っている、 「エディット・ピアフ」の名も聞いたことがある、越路さんだったか?三輪さんだったかな? でもこんな生い立ち、人生でワタクシよりも若くして亡くなったとは知らなかった。 アカデミー賞ノミネート確実といわれるコティヤー
(じゃがバタ〜 映画メモ 2007/10/08 1:25 PM)
『エディット・ピアフ 愛の讃歌』
予告だけでも、歌(愛の讃歌)のインパクトと声量の素晴らしさが伝わる。(C)2007LEGENDE-TF1INTERNATIONAL-TF1FILMSPRODUCTION OKKOPRODUCTIONs.r.o.-SONGBIRDPICTURESLIMITED原題:THEPASSIONATELIFEOFEDITHPIAF監督/脚本:オリビエ・ダアン 出演:マリオン・コティヤ
(たーくん'sシネマカフェ 2007/10/12 4:27 AM)
「エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜」
「La Môme」...aka「La Vie en Rose」、「The Passionate Life of Edith Piaf 」 2007 フランス/UK/チェコ・リパブリック 主演エディット・ピアフに「ラヴ・イズ・イン・ジ・エアー/2005」「プロヴァンスの贈りもの/2006」のマリオン・コティヤール。 ピアフ
(ヨーロッパ映画を観よう! 2007/10/15 1:00 AM)
エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜
ばら色に 人生染める 我が血かな   最近のCMでのおすぎさんのコメントは反作用。他の映画と同じく仰々しい感動のコメントに、なんぼのもんかな、そう思ってしまいます。だから、ほんとは、この映画観ていなかったかもしれません。この映画を観て、まず言いた
(空想俳人日記 2007/10/16 8:58 AM)
映画『エディット・ピアフ〜愛の讃歌』
 エディット・ピアフについては、とりたてて関心も知識も持ち合わせているわけではない。だから、この映画の主演女優がピアフの雰囲気によく似ているとかいないとか、特徴をつかんでいるとかいないとか、そのような感想をもつことからあらかじめ解放された立場で、私は
(コラムニスト宣言 2007/10/18 10:01 AM)
エディット・ピアフ  称号:良作
パリで生まれたエディットは、大道芸人の父と各地を回りながら歌うことを覚えた。成
(映画細胞〜CinemaCell 2007/10/18 10:32 AM)
★「エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜」
フランスの伝説的シャンソン歌手エディット・ピアフの伝記映画。 主演は最近よくお目にかかってるマリオン・コティヤール。
(ひらりん的映画ブログ 2007/10/23 3:57 AM)
エディット・ピアフ 〜愛の讃歌〜
愛と歌で駆け抜けた生涯。
(Akira's VOICE 2007/11/03 4:01 PM)
#169.エディット・ピアフ 愛の讃歌
思った以上に感動した。ああ、やっぱり映画館で見て良かった!
(レザボアCATs 2007/11/20 8:24 PM)
エディット・ピアフ 〜愛の讃歌〜−(映画:2008年17本目)−
監督:オリヴィエ・ダアン 出演:マリオン・コティヤール、マノン・シュヴァリエ、ポリーヌ・ビュルレ、シルヴィー・テステュー、エマニュエル・セニエ、ジャン=ピエール・マルタンス、マルク・バルベ、ジェラール・ドパルデュー 評価:73点 公式サイト 「
(デコ親父はいつも減量中 2008/02/19 11:26 PM)
エディット・ピアフ 愛の讃歌
2007年 フランス・チェコ・イギリス 2007年9月公開 評価:★★★★☆ 監
(銀の森のゴブリン 2008/04/28 12:00 PM)
『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』'07・仏・英・チェコ
あらすじ歌手を目指す母アネッタ(クロチルド・クロー)の娘エディット(マリオン・コティヤール)は、祖母が経営する娼館で娼婦のティティーヌ(エマニュエル・セニエ)らに育てられる。やがて母のように道で歌い始めたエディットは、名門キャバレーのオーナー、ルイ・
(虎党 団塊ジュニア の 日常 グルメ 映画 ブログ 2008/05/06 11:08 PM)

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