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This is BOSSA NOVA ディス・イズ・ボサノヴァ

This is BOSSA NOVA ディス・イズ・ボサノヴァ (2005 ブラジル)

「This is BOSSA NOVA ディス・イズ・ボサノヴァ」公式サイトにリンク原題   COISA MAIS LINDA: HISTORIAS E CASOS DA BOSSA NOVA     
監督   パウロ・チアゴ   
脚本   パウロ・チアゴ           
出演   カルロス・リラ ホベルト・メネスカル
      ジョアン・ジルベルト  アントニオ・カルロス・ジョビン
       フランク・シナトラ ジョイス

1950年代後半にブラジル・リオデジャネイロの海沿いの街から若手ミュージシャンたちが創り出し、世界に広がっていった音楽の潮流ボサノヴァ。日本は特にボサノヴァファンの多い国だと言われています。最近は、"癒し系の音楽"としても大人気ですね。映画『This is BOSSA NOVA ディス・イズ・ボサノヴァ』はボサノヴァ創生期から現在まで活躍し続けている巨匠カルロス・リラホベルト・メネスカルを案内役として、ボサノヴァ誕生のエピソードやライブ映像などを通して、ボサノヴァの歴史と魅力を探っていくドキュメンタリー作品です。

ボサノヴァ(Bossa Nova)とは、ブラジル公用語であるポルトガル語で「新しい傾向(感覚、才能)」という意味をもつ都会的な音楽のこと。1950年代当時ブラジルで声量たっぷりにドラマティックに歌われるサンバ・カンサゥンが主流を占めていました。それに満足できなかった若者たちは、もっぱらジャズの輸入版を聞いていました。「チェット・ベイカーが好きだった」というセリフが映画の中にも出てきますね。
耳元で囁くような歌唱法がボサノヴァのヴォーカルスタイル。
ボサノヴァ歌唱のお手本はチェット・ベイカーだったのかもしれません。

Chet Baker - Chet Baker Sings



ボサノヴァといえばギター。ブラジルではヴィオラォン(Violão)と呼ばれているナイロン弦のクラシック・ギターです。ピックを使わず、指で奏でる。ギターが潜在的にビートを鳴らすのが特徴的であり、このボサノヴァ独特のギター奏法は「バチーダ」と呼ばれています。
バチーダ奏法で、チェット・ベイカーのように歌う。ハーモニーを重視し、転調を多用。洗練された詞。従来のブラジル音楽に飽き足らなかった若者たちの心をとらえ、やがて広く受け入れられていきました。

じゃあボサノヴァはジャズの一種なのか?と聞かれると、映画の登場人物たちは口をそろえて否定しています。一般的には、
・「サンバ・カンサゥン」を基に新しい感覚(Bossa Nova)のサンバとして成立した。
・サンバと、アメリカのモダン・ジャズの要素がむすびついて生まれた。
など様々な解釈があるようですが、あくまで"サンバの一種"であるという点は共通しているようです。「シナトラが歌うようなサンバを目指していた」というセリフもありました。アントニオ・カルロス・ジョビンがフランク・シナトラと共演したコンサートの映像も出てきますよ。

 愛・微笑・花

映画のオープニングは『もっとも美しきもの』という曲ではじまります。
「もっとも美しいものは君。...君は花より美しい」と語るメロメロのラブソング。
これが情熱的に歌われるとこのヒト、キてるんじゃないか?と思ったりします。ボサノバのリズムでゆったりと歌われると本気でそう思っているんじゃないかと勘違いしてしまいそうです。妙に説得力がありますね。ボサノヴァの本質は、美しいものをひたすら淡々と歌うあげることなのかもしれません。

ボサノヴァの歌のテーマは「愛・微笑・花」
メディテーション』という歌には「愛・微笑・花を信じたものは...」という歌詞があります。海と山に囲まれたリオの街から生まれた音楽だけあって、海・山・太陽など健康的で屈託のないテーマが多いです。ああ、そんな言葉を臆面もなく口に出せるようになりたい。「ボサノヴァとは心のあり方だ」というコメントがラスト近くに登場します。心を入れ替えれば、「愛・微笑・花」と堂々と語ることができるよふになるのでせふか(笑)

「それまでのブラジルの歌はひたすら重苦しかった。人生の苦しみや憂いなんて若者が聞きたいかい?希望にあふれて明るい歌が聞きたかったんだよ」

それもそのはず、貧困層から生まれたサンバと違って、ボサノヴァ最盛期の1957年から1963年は、テニスのウインブルドン優勝や、サッカーのワールド・カップでのチャンピオン、ミス・ユニヴァースでのグランプリなど、世界の中でブラジルがひときわ存在感を放っていた時代です。サンバ・カンサゥンのようなメロドラマや悲劇的な内容を若者が好まなかったのも無理はありません。「人が話すときに使う言葉で歌うのがすき」とコメントにも出てくるように、歌詞には中産階級の生活や日常会話が好んで取り入れられました。

心優しき青年』という歌が映画に出てきます。
「僕は優しき青年。悩みとは縁がない。お金も家も食べ物もある。幸い食うには困らない」...。好きな女性の前で虚栄をはる男の歌だそうですが、こういう時代ならではの歌詞でしょうね。
この映画のプロモーションで来日したカルロス・リラは"日本でなぜボサノヴァが人気があるのか?"という質問に「日本には中産階級が多いから」と答えています。
ジョアン・ジルベルトは、初めての日本での演奏を終えた後、「日本の聴衆は最高だ。こういう聴衆を何十年も捜し求めていたんだよ」と語ったそうです。

ジョビン、ジルベルト、モライス

ボサノヴァ誕生の立役者と呼ばれているのは、作曲家アントニオ・カルロス・ジョビン(トム・ジョビン)、歌手、ギタリストのジョアン・ジルベルト、外交官、ジャーナリストにして多くのボサノヴァ・スタンダードの作詞を手がけたヴィニシウス・ヂ・モライスです。
モライス作詞、ジョビン作曲、ジルベルト歌で1958年に発表された『Chega de Saudade(想いあふれて)』が最初のボサノヴァレコードであるというのが通説となっています。
また、ボサノヴァがアメリカでブレイクしたきっかけとなった『イパネマの娘』もこのトリオの作品。ただしアメリカでは、妻のアストラッド・ジルベルトが英語で歌った部分のみでシングルとして発売され、ジルベルトがポルトガル語で歌った部分はカットされてしまいました。それが原因か?2人はまもなく離婚してしまうのですが...。
このジョビン、ジルベルト、モライスの3大立役者については、映画『This is BOSSA NOVA ディス・イズ・ボサノヴァ』においても最大級の賛辞が贈られています。



ボサノヴァの女神、ナラ・レオン

ナラ・レオンは日本でもっとも有名なボサノヴァ・シンガーのひとりです。
12歳のとき、ヴィオラォンを手にしたナラは、カルロス・リラとホベルト・メネスカルのギター教室に通うようになり、それをきっかけに多くの若手ミュージシャンとの交流を深めていきました。ナラの住むコパカパーナのマンションはブラジルでも有数の高級マンション、ボサノヴァ・ミュージシャンの溜まり場となり、毎晩50人程度集まっていたそうです。ナラの初恋の相手はホベルト・メネスカル。恋は実りませんでしたが、友情は続いていました。1964年、ブラジルに軍事政権が台頭してきたことをきっかけにナラはボサノヴァと決別。『オピニオン』『ナラ自由を歌う』で政治的メッセージの強い作品を発表していきます。


当時のブラジルの国務大臣がナラに国家保安法を適用しようとしたほど、政治圧力がかかり、ナラはフランス亡命を余儀なくされてしまいます。皮肉にもそのことがナラの心をボサノヴァに戻し、1971年『美しきボサ・ノヴァのミューズ 』を発表。ちなみに、ナラに強い影響を与えたのはカルロス・リラで、リラも一時期ボサノヴァを離れ、メッセージ色の強い作品を発表していたとか。

1970年代は育児を理由にしばらく休業していましたが、1977年の『ナラと素晴らしき仲間たち』で本格復帰。レコーディングにはカルロス・リラとホベルト・メネスカルも参加しています。

1985年にはホベルト・メネスカルらを伴ってコンサートのため来日。アルバム『イパネマの娘』のレコーディングを東京で行っています。その後、アメリカ・スタンダードを取り上げた2枚のアルバム『あこがれ』『いつか、どこかで』はいずれも大ヒットしました。

ナラはその後も精力的な活動を続けていましたが、1989年脳腫瘍のため47歳の若さで帰らぬ人となりました。脳腫瘍であることが判明してもナラは音楽活動を続け、もう一度日本で歌うことを熱望していたといわれています。

映画の中でナラはボサノヴァのmuse(女神)とひたすら崇められています。ナラの波乱に満ちた生涯を知る人にとって、口ごもっているかのような演出は非常にもどかしく感じられるかもしれません。

※主な参照記事 ナラ・レオン没後10周年に想う



 ボサノヴァの波、世界へ

1959年には、1957年にジョビンとモライスが描いた戯曲をベースにしたマルセル・カミュ監督の『黒いオルフェ』は1959年カンヌ映画祭パルムドール、翌年にはアカデミー外国語映画賞賞に輝きました。劇中曲として多くのボサノバが使われ、世界中にボサノヴァを知らしめた映画です。また1962年には、ジョアン・ジルベルトがアメリカのジャズ・サックス奏者スタン・ゲッツと共演したボサノヴァアルバム『ゲッツ/ジルベルト』がアメリカで大ヒット、ジョアンの当時の妻アストラッド・ジルベルトが英語詞で歌った『イパネマの娘』は爆発的な売り上げを記録し、1964年(第7回)のグラミー賞最優秀レコード賞、アルバム賞まで獲得。アメリカ中に「ボサノヴァ」を浸透させました。ちなみにこの時の最優秀新人賞はビートルズです。アメリカでも人気に火がついたことで、ボサノヴァは"ブラジルの土着音楽"から"ソフィスティケイトされた音楽"へとその性格を変えていくことになります。

Astrud Gilberto, Jo?o Gilberto & Stan Getz - Getz / Gilberto



 ボサノヴァの退潮

ブームには必ず終わりが訪れます。
空前の勢いで拡がっていったボサノヴァも例外ではありませんでした。

1964年にブラジルでは軍事政権が誕生。そんなご時世に「リオの有閑階級のサロン的音楽」が受け入れられるはずはありません。ナラ・レオンやカルロス・リラまでがボサノヴァを離れ、メッセージソングを発表するようになったのは前述のとおりです。軍事政権による強圧的体制は、モダンな音楽であったボサノヴァを完全に時代遅れの産物にしてしまいました。

同じ1964年よりサンパウロで開催されるようになった歌謡音楽祭の影響も見逃せないところです。この音楽祭でブラジル最高の歌手といわれるエリス・レジーナが人気を集めました。エリスの歌声はボサノヴァ・ムーヴメントの波を吹き飛ばしてしまうほどダイナミックで力強いものでした。またここからMPB(ブラジリアン・ポピュラー・ミュージック)と呼ばれる新しい音楽潮流が息吹をあげはじめました。



また、ビートルズ人気がブラジルにも押し寄せ、ボサノヴァのアコースティックサウンドはすっかり過去の遺物と化してしまいました。「ビートルズがボサノヴァを殺した」と評する人もいるほどです。ちなみに『イパネマの娘』は、ビートルズについでカバーするアーティストが多い曲だそうです。

軍事政権の弾圧により、セルジオ・メンデスなど多くのアーティストは国外亡命を余儀なくされ、ブラジルの土着音楽であったボサノヴァは、MPBという新しい音楽潮流の中で生き続けていくことになります。
参考 「ジャズ・ボッサトリオの台頭した1960年代」(ブラジル民族文化研究センター)

 ボサノヴァの今

ボサノヴァはあくまでブラジルでは1958年から1963年に一時的に流行った音楽です。
今やブラジルでは懐メロと化してしまっていて、ボサノヴァを全く知らないブラジル人も増えてきているようです。参考
映画はこのボサノヴァ最盛期の頃の話に終始しています。カルロス・リラ、ホベルト・メネスカルというボサノヴァの生き字引のような人たちをナビゲーターに迎えておきながら、軍事政権当時の心境やその後のナラ・レオンとの関係などにまったく触れない姿勢には疑問を感じざるをえません。カルロス・リラやナラ・レオンがどんな気持ちでボサノヴァを離れ、そして舞い戻ったのかを掘り下げていけば、結果としてボサノヴァという音楽が持つ魅力がより伝わる、一歩深い内容になったのではないかと思います。肝心な部分を避けたままで、リラとメネスカルが『祝福のボサノヴァ』という曲を歌われても痛々しさしか感じません。たとえ過去のことを描いたとしても、ちゃんと現在につながる視点を交えてこそドキュメンタリーと呼べるのではないでしょうか?これでは"単なるボサノヴァのプロモーション・ビデオ”と評されても仕方のないところです。あまりにも弱腰な創作姿勢は、製作サイドが"ボサノヴァはもう過去のものなんだ"と認めてしまっているようで悲しくなりました。たとえ本国では廃れても、形を変えて世界中の音楽シーンに影響を与え続けているのですから、もっとそのことに誇りをもって製作してほしかった。『小舟』や『ロボ・ボボ』の創作秘話といった他愛のないエピソードの代わりに1964年以降をちゃんと描いてこそ原題のサブタイトルにある「ボサノヴァの歴史」にふさわしい内容になったはずです。まあ、ボサノヴァは「愛・微笑・花」に囲まれ「美しいものをひたすら称える」音楽ですから、ダークサイドを紛れ込ませるのは邪道なのかもしれませんが...。



ラスト近く、リオの街並みをバックにカルロス・リラは『わたしの恋人』をせつせつと歌い上げます。ボサノヴァの美しさはリオの街の美しさによるものだ、という説もうなづける場面です。ちなみに、この映画の日本公開初日、カルロス・リラは舞台挨拶にたち、前述の『もっとも美しきもの』と『あなたと私』の2曲を披露。ボサノヴァ独特のギターの音色もさることながらリラの声のみずみずしいこと。CDで聞くよりはるかによかった。とても71歳とは思えない若さ!輝いた瞳と笑顔がとても素敵なオジサマでした。やっぱ人間、生活環境でトシのとり方決まるんですね(^^;

ボサノヴァはMPBの核として世界中に影響を与え続けていますし、ジャズマンは今でも好んでボサノヴァを取り上げます。来年(2008年)はボサノヴァ誕生50周年。ボサノヴァはスタンダードナンバーとして、または、別の音楽スタイルの"新しい感覚"の一部として形を変えて歌い継がれていくでしょう。
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2019.09.05 Thursday | 00:05 | - | - | - |

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