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TOKKO -特攻-

TOKKO -特攻-(2007 アメリカ・日本)

「TOKKO -特攻-」公式サイトにリンク原題   WINGS OF DEFEAT   
監督   リサ・モリモト  
撮影   フランシスコ・アリワラス                  
音楽   松岡碧郎               
 (ドキュメンタリー映画)

「怖くないなんてありえない。死ぬほど怖かった。こっちは生きるために戦っているのに、向こうは死ぬために突っ込んでくるだから」
特別攻撃隊の攻撃を受けながらも生還したアメリカ兵はこのように語る。
特別攻撃隊(特攻隊)とは、太平洋戦争末期、爆薬をつんだ航空機、潜航艇による体当たり攻撃をおこなうために特別に編成された部隊のこと。この攻撃のことを特攻という。爆弾を搭載した軍用機を搭乗員ごと敵艦に体当たり。生還の可能性はほとんど無い。

「特攻隊員は戦争の犠牲者だ」との意見が日本では強く、国を守る無私の行為の象徴として美化されることも少なくない。一方海外では"クレージー","戦法と呼べぬ戦法"と捉えられている。アメリカでは9.11事件以降、特攻隊を"KAMIKAZE"なる狂信的な行動の象徴とみなし、自爆テロと結びつけて論じられることも少なくない。

NYで生まれ育った日系アメリカ人監督リサ・モリモトは、いつも穏やかだった亡き祖父が特攻隊員としての訓練を受けており、戦後はそれを誰にも語ることがなかったという事実にショックを受ける。それをきっかけに特攻隊員の生存者、特攻によって沈没した米駆逐艦の乗組員の生存者たちにカメラを向けた。映画『TOKKO -特攻-』では特攻隊生存兵4人のインタビューを中心に作家の森本 忠夫氏、歴史学者のジョン・ダワー氏、予科練資料館らの取材をおりまぜ、特攻隊員として任命された人々の心の奥底に迫った作品。北米最大のドキュメンタリー映画祭Hot Docs Canadian International Documentary Festivalでプレミア上映され、大きな反響を呼んた。



神風とは元をたどれば、13世紀、元寇を追い払ったと信じられている台風のこと。
だがkamikazeは、台風ではなく生身の若い兵である。

特攻についてどう思うか?との質問にはリサの親族の間ですら意見が分かれている。
リサの祖父だけじゃなく、元特攻隊の大半はその事実を誰にも話すことなくひっそりと生活していた。
親族も そのことについて聞く機会も、そして勇気もなかった。
「階級特進、軍神だといわれてもそれだけ。終戦後、生き方が否定されてしまった」
生存兵の一人は語る。

「どう死ぬかが問題だ」
「お前らに死に場所を与える」
「立派に死んでもらいたい」
こんな言葉に何の抵抗も感じない人などいるのだろうか?

人間だから自分の死を軽々しく考えるなんてありえない
生存兵の一人はこう語る。
「国のために殉じなければならない」
彼らは命令に従うより他に術がなかった。

特別攻撃隊への参加者は本人の志願の上で司令部が選別する事とされたが、あくまでも形式的なもので、実際は上官の指名による事実上の強制であった。
特攻第一号として指名されたのは関行男大尉。
「僕のような優秀なパイロットを殺すなんて、日本もおしまいだよ。天皇陛下のためとか日本帝国のためではなく妻を護るために行くんだ。最愛の者のために死ぬ」
関大尉が特攻をした翌日、新聞には以下の文字が踊った。
「神風・関大尉!日本を守る」



特攻隊員に指名されたのは飛行訓練の少ない若者が大半だったため、訓練は連日連夜繰り返された。ただし、飛行機は老朽機。訓練中ですら故障が多発した。
「今までは他人事だと思っていたけど自分がいくとはこりゃたまらん」
トイレにはこのような落書きがされていたという。

出発する直前、実家に帰った。
父親は「どうか無事に帰ってきてくれ」と言う。
自分が特攻隊であり、生還する可能性などほとんどないことを父に話すことができない。
あれほど悲しい夜はなかった、と生存兵のひとりは述懐する。

別れの杯をかわし、帽子を手でふりながら送り出す他の隊員たち。
「今度は自分の番だ」と心の中で言い聞かせながら。
出発する隊員は笑顔をつくる。スクリーンに映し出されるその表情に曇りはない。
もちろんうれしいはずなどないのだが...。

同期の桜」という歌がある。
この映画『TOKKO -特攻-』の中でも2度流れてくる有名な軍歌だ。
この歌の歌詞にも見られるように、死を運命付けられた者どうし、同期の結束は固かったという。
元特攻隊員の大半が自分の過去について口を閉ざしているのは、同じ体験をしたものでなければ絶対に分かち合えない想いがあるからであろう。



婦人会は慰問に訪れ、人形を手渡す。
若い兵たちはそれをお守りのように腰にぶらさげている。参考
婦人会のメンバーのひとり、渡辺クミさんは慰問の際、歌ったであろう歌を披露するが途中で涙に詰まり歌えなくなってしまう。
「いつもならちゃんと歌えるんだけど...」

海軍として最初に特攻作戦を発令したのは、大西瀧治郎海軍中将。
「通常ではやってはいけない外道の統率」であることを認める発言をしていた。
こんなことをしたら、天皇陛下から戦争をやめろと言われるのではないか...。
「体当たり機はよくやってくれた」
この天皇の言葉を大西はどんな気持ちで読み上げたのだろう。
8月16日、日本の敗戦を見とどけると、「特攻隊の英霊に曰す」で始まる遺書を遺して大西は割腹自決した。敢えて介錯を付けず、医者の手当てを受ける事すら拒み特攻隊員に詫びるために夜半から未明にかけて苦しんで死んだと言われている。



自分だけ助かりたいなんて口が裂けてもいえない。大佐クラスのエライ人は「最後は自分も行く」といっておきながら若い人だけをいかせて結局はいかない...。
生存兵のひとりはそう嘆く。
これは今の時代でも形を変えて見受けられる光景だ。

藤井一中尉のエピソードも紹介される。
藤井中尉は中隊長として少年飛行兵に精神訓育を行っており、「事あらば敵陣に、あるいは敵艦に自爆せよ、中隊長もかならず行く」と繰り返し言っていた。自分の教え子が次々と特攻出撃していく...。
生徒だけ特攻に行かせるわけにはいかない。生徒への約束を守るため3度めの出願にしてようやく特攻に参加が認められる。
「私が生きていたら心残りでしょう」と妻子は特攻決行の前に入水自殺。
その亡き子へあてた藤井中尉の手紙は
「父ちゃんは立派な手柄をたててかえります」

前述の関大尉のエピソードも藤井中尉のエピソードもこの映画の中では、さらりと紹介される程度である。この映画には英語字幕もついている。海外では、美談として受け取る人はそれほど多くはないだろう。

沖縄戦において、どうせ死ぬのだから燃料は片道分でいいのではないか、という声が上がったという。
片道燃料 − 特攻を語るときよく聞く言葉である。
当時の日本の深刻な燃料不足により、燃料割り当てがかなり限定されていたのは事実のようだ。
しかし、現場では軍令部から指示されていた重油割当量はほとんど守られていなかったようで、特攻だから片道燃料としていたという話には疑問の声が多い。「明日軍法会議にかけられてもかまわない。燃料は満タンにしときました」と整備員が語ったというエピソードが映画の中でも紹介されている。

特攻生存者の一人、江名武彦氏は特攻出撃の末、鹿児島県の黒島にたどりついて一命をとりとめた。その黒島を映し出して、この映画は幕を閉じる。参考
「(特攻のようなことは)2度とあってはならないこと」江名氏は静かに語る。

この映画で描かれていることは日本人にとってはそれほど目新しい内容ではないかもしれない。一番重要なことは、その生存兵たちが映画という世界に発信することができる媒体を通して"kamikazeは普通の人間で構成されていた"という当たり前の事実を訴えるために立ち上がったことであると思う。
親にも家族にも友人にも決して語らなかった過去の特攻経験。
世界にその当たり前のことを発信するためには60年もの歳月が必要だったのか?
それほど"kamikaze"=狂信的集団のレッテルは強固だったのか?

「あれくらいやるアメリカ人だってきっといるよ。ドイツと日本に追い詰められたなら」
「同じ情報を何度も刷り込まれたら国民は信じてしまう。米国でだって十分ありうる」
アメリカの生存兵たちはこう語る。人間、追い詰められた末での行動は国や宗教等を問わず、結局のところ、それほど変わらない気がする。

第2次世界大戦後も、世界のどこかで常に戦争は行われている。
戦争に関する物語は、語りつくされるということはありえない。
何度でも繰り返し語らなければいけないテーマである。

「戦争が終わったときはびっくりした。死ぬとしか思っていなかったのでどうしていいかわからなかった。今でも生き残って悪いような気がする」
こういう感覚がどこまで伝わるかは疑問ではあるが、日本人はもちろん、幅広く海外の方に見ていただきたい映画である。狂気のレッテルを貼り付け封じ込めてしまったものの裏側には、己と何ら変わらぬひとりの人間としての顔が見えるはずだから。
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2019.09.05 Thursday | 02:33 | - | - | - |

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『TOKKO -特攻-』
@渋谷シネ・ラ・セット、リサ・モリモト監督。 太平洋戦争の末期、日本軍は爆弾を搭載した軍用機を操縦士ごと敵艦に体当たりさせる特攻作戦を繰り出し、推計4000人もの命が散らされていった。戦後の日本では、戦争がもたらした大いなる悲劇の一つとして哀悼の意が捧げ
(マガジンひとり 2007/07/29 12:18 AM)
「TOKKO -特攻- 」(アメリカ/日本 2007年)
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(三毛猫《sannkeneko》の飼い主の日常 2007/09/23 8:25 PM)
独断的映画感想文:TOKKO -特攻-
日記:2008年4月某日 映画「TOKKO -特攻-」を見る. 2007年.監督:リサ・モリモト. 日系2世のリサ・モリモト監督が,自分の祖父が特攻隊員だったことを知って製作を意図した特攻隊員のドキュ
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