映画のメモ帳+α

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ブレードランナー

ブレードランナー (1982 アメリカ)

ブレードランナー(1982)原題   BLADE RUNNER
監督   リドリー・スコット
原作   フィリップ・K・ディック 『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』
脚本   ハンプトン・ファンチャー デヴィッド・ピープルズ
撮影   ジョーダン・クローネンウェス
特撮   ダグラス・トランブル
デザイン シド・ミード
音楽   ヴァンゲリス
出演   ハリソン・フォード ルトガー・ハウアー ショーン・ヤング エドワード・ジェームズ・オルモス
     ダリル・ハンナ ブライオン・ジェームズ ジョアンナ・キャシディ M・エメット・ウォルシュ
     ウィリアム・サンダーソン ジョー・ターケル ジェームズ・ホン モーガン・ポール

第55回(1982年)アカデミー賞美術監督・装置、視覚効果賞ノミネート

1982年6月25日、映画『ブレードランナー』が全米公開された。『エイリアン』(1979)を大ヒットさせたリドリー・スコット監督の新作、『スター・ウォーズ』が既に2本公開され、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(1981)もヒットしたハリソン・フォードの最新作とあって周囲の期待値は異常に高かった。だが、蓋を空けてみると、興行的には不発、批評も賛否両論で失敗とみなされる結果に終わる。原因としてはハリソン・フォード主演ということで『スター・ウォーズ』のような快活な映画を期待していた観客が"暗く陰惨な未来社会"に抵抗感を示したこと、ストーリーがわかりにくかったこと、『E.T』、『スター・トレック/カーンの逆襲』、『コナン・ザ・グレート』、『遊体から離脱X』などが次々公開された年でSF映画供給過剰状態だったことなどが挙げられる。特にメガヒット『E.T』が本作の2週間前に公開されていたのは痛かった。

しかし、劇場公開終了後、本作は息を吹き返した。ホームビデオ市場で大ヒットして再評価の機運が高まり、1992年、劇場公開時からナレーションを省き、エンディングも変更した"ディレクター・カット版"が公開されて好評を博し、"カルト映画の金字塔"と呼ばれるようになった。




 映画化への道
1968年、原作であるフィリップ・K・ディックアンドロイドは電気羊の夢を見るか?』が出版されて最初に手を挙げたのはマーティン・スコセッシ。だが、彼は当時無名だったため、支援が得られず挫折。その後、プロデューサーである ハーブ・ジェフ(Herb Jaffe)が映画化権を獲得、1973年、彼の息子ロバートが手掛けた脚本をディックに見せたところ、おぞましさに震え上がり「自分の作品を5流のSFに貶めた」と批判したため、1977年に映画化権を放棄した。その後、ハンプトン・ファンチャーとブライアン・ケリーが映画化権を獲得。フィンチャーが脚本を手掛けたが"部屋を舞台にした小さな映画。動物の死に対する考え方を示したもの”だったため、デヴィッド・ピープルズが"映画向き"に改稿した。このプロジェクトは"Android", "Mechanismo", "Gotham City"などさまざまな名称で呼ばれた。いったん"Dangerous Days"に決まりかけたが、最終的には"BLADE RUNNER"に決まった。ディックは当初、脚本に不満を表明していたが、脚本に原作の要素を多く復活させディックのご機嫌をなだめた。その脚本をもって製作サイドはリドリー・スコットに監督を依頼。リドリーは『エイリアン』(1979)での視覚効果が評判を呼んで間もない頃だった。

主演リック・デッカード役に白羽の矢がたったのがダスティン・ホフマン。彼は強い関心を示したが、"特殊なヒーロー役を自分に合わないから、出演するのであれば脚本のリライトが必要"と考えていた。脚本に関する話し合いの中でホフマンは"タイレル博士の死体が冷凍保存される"というアイデアを出してきたという。ホフマンは2か月ほどかかわったがいつのまにか降板し、冷凍保存のアイデアも立ち消えとなった。(降板理由はギャラの問題だと推測されている)結局、役はハリソン・フォードの手に渡る。フォードも"ハン・ソロと役がかぶる"ことや英国での撮影に難色を示したが、リドリー・スコットが「この役とハン・ソロとは全く違う」と説得、企画段階から参加させることを条件に承諾を得る。

製作過程での異変は、"ヴィジュアル・フューチャリスト"シド・ミートが参加したことだ。彼は当初、映画に登場する車のデザインのために雇われたが、結局、車の周囲のもの(セット、道路、ネオンなど)、つまりアート全体を担うことになる。なお、シド・ミートは続編『ブレードランナー2049』(2017)にも参加している。

 空飛ぶ車"スピナー"。(流線型の空陸両用の警察用車) シド・ミートデザイン。
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 レプリカントの感情とは?
冒頭に映し出される人間(と思われる)の瞳孔。その瞳には炎が映し出されている。
そして、VK装置(Voigt-Kampff、ヴォルト=ガンプ分析装置)に映し出される、レプリカント、レオンの瞳。
人間とレプリカントの差は"感情移入"だというが、この2つに差があるのか
感情に乏しいはずのレプリカントが母親の質問をされた途端、捜査員を銃殺してしまう。
レプリカントに母親などいるはずはない。銃殺したのは感情ゆえか?
映画のテーマを端的に表すファーストシーンだ。

BLADE RUNNER pupil 1BLADE RUNNER pupil 2

宇宙から脱走した最新レプリカント「ネクサス6型」4体を見つけ出すため、
仕事を辞めたはずのデッカードが呼び戻される。
レプリカントは製造されてしばらくすると感情を持ち始める。
厄介なので4年の寿命にセットされていることの説明を受ける。

ディカードはレプリカントを製造しているタイレル社に出向く。
そこでレイチェル(ショーン・ヤング)という秘書にVKテストを施し、彼女がレプリカントであることを見抜く。
彼女は"感情を持ち始めた時期"であるため、いらついているという。
その後の物語展開につながる重要な場面だ。
でも、そんなもんどーでもいい。(笑)
ディカードがスピナーに乗ってタイレル社に出向き、エルドン・タイレルとレイチェルに出会い、
レイチェルにテストをほどこすまでの一連の映像は本作中、一番魅惑的だ。

TYRELL CORPORATION3

ジョアンナ・キャシディが演じるのは、蛇をまとうダンサー、ゾーラ。
レオンのスナップ写真を調べるデッカード。そこでみつけるゾーラの写真はどうみてもジョアンナ・キャシディとは別人です。

who is her?
who is her?

逃げ出すゾーラを追いかけるデッカード。女を2度も背中から撃つという紳士らしからぬ行動をとります。
人間じゃなくレプリカントならいいのかしら?
ゾーラがガラスを突き破って撃たれる場面は、明らかにジョアンナ・キャシディとは別人です。
スローモーションで撮られ、この場面が吹替えであることを思いっきり強調。
ゾーラは結局、3人で演じられていたんですね(笑)。

ルトガー・ハウアー演じるロイ・バティーが眼球作りのチュウに言い放つ。
「燃える様に天使は落ちた。轟くような雷鳴が岸をころがり、怪獣の火と共に消えた」
ウィリアム・ブレイクの叙情詩「アメリカ=ひとつの予言」からアレンジしたものです。
そのあとの台詞

「チュウ、お前が作った目で私が見たものを、お前にも見せてやりたかった

レプリカントとして人間が見ることができない、数々の場面を目にしてきたんだぞ。だからもっと生きたい。という意味なんでしょう。
名台詞と言われているらしいですが、どうもピンときません。

リオン(ブライオン・ジェームズ)がデッカードを殺そうとする場面
「死と隣合わせに生きるのはつらいだろう」
「思い通りにいかないのは歯がゆいだろう」
と叫び、「目を覚ませ、死に時だ」とデッカードの両目をつぶそうとします。
そこで(既に自分がレプリカントであることを自覚している)レイチェルがどかーんとリオンを殺す。
レプリカントがレプリカントを殺す。そのあと、レイチェルは「私が逃げたら追いかける?それとも殺す?」とディカードに問いかけます。しいていればここが一番、感情にアピールしやすい場面かもしれません。

結局、この物語、主役はレプリカントなんです。
情をもってしまったレプリカントが死を恐れる。そのレプリカントに人間=観客が感情移入できるか?
感情移入できなかった人はレプリカントレベルの感性とでもいいたげですね。

でも、本来ならぐっとくるはずの各場面が今一つピンとこないのはなぜでしょう。
それは...レプリカントが持ち得る感情がどのレベルなのか、ガイドラインが示されていないからです。原作では"アンドロイドはある種の感情がかけていて、仲間でも平気で見捨てる"という趣旨の記述がありますが映画にはそんな描写もない。

ロイ・バティーは生みの親であるタイレル博士を殺してしまいます。
生みの親殺してどーやって長生きの方法探るの?
まあ、これは短絡的だから百歩譲って受け止めるとしても、
自分を殺そうとした人間を逃がし、鳩をかかえて自殺するレプリカントなんてあり?
どんな偽記憶を埋め込まれたらこんな感情が育つの?レプリカントがはぐくむ感情としては行き過ぎじゃないかと思うわけです。

リドリー・スコットはこの件についてインタビューで「ロイ・バティーが人間より人間味があることを強調したもの。つまり"人間的価値"があることを示した」という。ただし、リドリーはルトガー・ハウアーに対し「ネクサス6型は誰かが落ちれば、バディーはその人間をつかむ。ディカードをどう思うかなんて関係ない。単なる反射だ。ロイはそのように作られている」と話している。"単なる反射"のほうに説得力を感じるワタクシはレプリカントより人間味がないのでしょうか?(笑)

全体的にみるとレプリカントに備わった"感情"なんて物語の都合にあわせて適当に作っているように見える
だから感情移入できないんです。

フィリップ・K・ディックの小説の読者には『ブレードランナー』のレプリカントの描写に抵抗を感じる人も多いかもしれない。(筆者もそのひとり)その理由はディックとリドリー・スコットの"レプリカント感"が根本的に違うため。『メイキング・オブ・ブレードランナー」に掲載されていたフィリップ・K・ディックの1982の会見の言葉を引用させてもらう。
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「私にはレプリカントは哀しい存在だ。残酷で、冷酷で、非情だ。彼等は感情移入なんてない。だから、ヴォイト=カンプ・テストでレプリカントを捕まえられるんだ。彼らは他の生き物がどうなろうと気にしない。基本的に人間より劣った生命体なんだ。ところが、リドリーはレプリカントを飛べないスーパーマンと考えていると言ったんだ。人間よりも賢く、強く、反応が早いと言ったんだ。『何だって!』−せいぜいそんな言葉しか返せなかったよ。デッカードがアンドロイドを追いかけることを通して、どんどん非人間的になってゆくのが私の本の主題なので、リドリーの態度は、オリジナルの私の視点からかなり逸脱していた。私の主題については、リドリーは知的な考えだと言い、しかし、難解な映画は作りたくないとも言ったんだ。(p382より)
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それでもディックは20分間の視覚効果撮影をみて感嘆し、映画の完成を楽しみにしていたという。
だが、それを見ることなく1982年3月2日、脳梗塞で急死してしまった。

本作の熱狂的なファンのあいだで"デッカードはレプリカントかどうか?"ということが議論になっているそうですが、何でそんなこと議論するの?原作のどこにも書いていないし、物語的に無理がある。”デッカード=レプリカント説"は監督のリドリー・スコットがご執心らしく(彼は原作を読んでいない)、ディレクターズ・カット版はレプリカント説にたって一角獣の夢の場面を挿入したりしているが、ハリソン・フォードがそれに反対していたとか。 デッカードはレプリカントか?

フィリップ・K・ディックの小説では主人公が実はレプリカント(ディックの言葉ではアンドロイド)だったなんて全然珍しいことじゃないし、デッカード=レプリカントとしたところで物語の深みが増すとも思えない。そもそも予備知識なしで一角獣の描写だけ見てデッカードがレプリカントと見抜ける観客は10人にひとりもいないでしょう。筆者も説明を読みましたが、ぴんとこないのでここでは書きません。

話はそれるが、フィリップ・K・ディックとリドリー・スコットって何となく立ち位置が似ている気がする。
ディックは自分が"SF作家"として分類されることに不満を持っていたという。だが、現在でも彼はあくまでも"SF作家"として評価されている。その理由として「暗闇のスキャナー」(創元SF文庫)の解説で"どこか安易だから"と書かれていた。

個人的にリドリー・スコットにも同じ印象を持ちます。キャリア的には巨匠と呼ばれてもおかしくないし、"サー"の称号も得ている。でも巨匠のイメージってあんまりない。SF映画が多いためかもしれないが、それ以上に作品の当たりはずれが激しいから。近作でいうと『オデッセイ』(2015)はまずまずだったけど、『エクソダス:神と王』 (2014)は最悪でした。この人の映画、シビアな題材を扱ってもあまり深みを感じないんですよね。未だにデイミアン・チャゼルでもとれるアカデミー監督賞をとれないのもそのためか。


 伝説のカルト映画?
『ブレードランナー』は公開前、ダラスやデンバーでリサーチ試写を行った。約4割強は「よかった」と回答したものの、「難解すぎる」「ラストが曖昧過ぎる」という声が目立った。配給先のワーナー・ブラザーズはこの反応に震え上がり、リドリーとハリソンの反対を制してナレーションを加え、ラストをhappy endingに変えた。それにより試写の反応もやや上向いたため、そのまま劇場公開したところ...批評は賛否両論、興行成績は期待を大きく下回る結果となった。

まずは批評である。実際、肯定評もそれなりにあったのだが、ポーリン・ケイルやロジャー・エバートといった有名評論家が手厳しい評価をするなど、批判ばかりが派手にとりあげられたため"悪評まみれ"のイメージがついてしまった。皮肉なことに批判のやり玉にあがったのは、ワーナーが付け加えたナレーションやラストのハッピーエンディングであった。ナレーションが稚拙すぎる(ナレーションに反対していたハリソン・フォードはわざと下手に読んだと言われている)、エンディング"は陰惨な雰囲気で進む中、唐突に付け加えたようだ"と評された。

興行的にも何とか赤字を免れる程度に終わり、『エイリアン』監督と『スター・ウォーズ』主演男優のタッグとして果てしなく物足りない結果に終わった。だが、作品は忘れ去られなかった。ケーブルテレビで放送されたり、ビデオレンタルで大ヒットしたりして徐々に再評価の機運が高まっていく。

製作費は2800万「メイキング・オブ・ブレードランナー」では公開時の総収入が1400万ドルと書いてあり、これだったら大赤字なのだが、おそらくこれは配給収入?boxofficemojoの興行収入は全米2800万ドル弱、全世界収入で3200万ドルとなっている。これでも実際は赤字じゃないかなと思うんですが...)

1989年、ワーナー・ブラザースの管理マネージャー、マイケル・アリックがこの作品の70mmフィルムを発見。そのフィルムはナレーションもなくエンディングも異なる、リドリー・スコットのオリジナル版であることがわかった。ワーナーはこれをオリジナル版として劇場公開することをリドリーに提案、リドリーは”デッカード=レプリカント説"を裏付けるため、一角獣(ユニコーン)の夢の場面を挿入しなければディレクター・カットとは認めないと主張、渋っていたワーナーも承諾せざるをえなかった。公開された"ディレクター・カット版"は評判を呼び、興行成績、ビデオ売上ともに好調、『ブレードランナー』の名声はここで確立される。

その後も研究本やドキュメンタリーが多数発表され、2007年に公開25周年ファイナル・カットが公開されたりして、映画『ブレードランナー』の名声はますます高まって、2017年、ついに続編公開の運びとなった。

このような経緯もあってか『ブレードランナー』は伝説のカルト映画と称される。
だが、個人的には『ブレードランナー』をカルト映画と見做すのにかなり抵抗がある。
はたしてカルト映画とは何だろうか?"熱狂的ファンによる小グループによって支持される映画"という意味のみなら『ブレード・ランナー』はカルト映画なのかもしれない。だが、自分としてはカルト映画はもっとアングラなイメージを持っている。少なくてもメジャー映画会社から莫大な予算をもらって拡大公開された映画はその時点でカルト映画ではない、と。"熱狂的ファンによる〜"という定義だけなら『スター・ウォーズ』だって『スター・トレック』だってカルト映画になる。『ブレードランナー』をカルト映画に分類すると、本物のカルト映画の居場所がなくなってしまう。『ピンク・フラミンゴ』(1972)のような正真正銘のカルト映画に対して失礼だぜ(笑)。というわけで、私的には『ブレードランナー』をカルト映画と認めないことにします。

さて最後、個人的にこの映画をどう思っているか簡単にまとめると...。
前述のとおり、物語としては全く惹かれないんですね。
リドリー・スコットが思い描く"人間より人間味があるレプリカント像"についていけない。そう、本作でのレプリカントは"スーパーパワーを持ちながら寿命が定められた悲しい人間"として描かれている。感情を持ちすぎているレプリカントは恋するゾンビと同じくらい受け入れられません。

また、物語も解釈をほどこしたくなるほどきっちりした作りじゃなんですね。元があやふやだから"ディレクターカット"で物語の意味を根本的に変えることができる。映画『ブレードランナー』は厳しい撮影スケジュールゆえ?ミスの多い作品として知られているが、基盤がゆるゆるのものを”解釈”しても堂々巡りで終わるだけじゃないですか?

「原作はよかった...」というお決まりの言葉を使いたくなるんですが、正直いうと原作もいまいち。"人間とアンドロイド”をテーマにしたフィリップ・K・ディック作品は短・中編なら読めるけれど、長編となるとイメージが散乱して軽く感じるんです。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』もSF文学の名作とみなされているようですが、個人的にはしっくりこない小説でした。
よって映画『ブレードランナー』、物語的に特筆するものは何もない、というのが個人的結論です。

映像はやっぱり魅力的です。全体的に漂う"退廃的な未来社会"のイメージ!
リドリー・スコット監督曰く「私の3つの武器は夜と雨と煙だった
その言葉どおり、少しワン・パターンな気がしないでもないですが。
ただねえ、アジアをイメージした映像は正直言って気に入らない。
エキゾチック、グロテスクなイメージを出したいときアジア人を出すというのは、ハリウッドで戦前からはびこるパターンなのでね...。偏見的なものを感じざるをえない。日本語がいっぱい出てきてうれしいなんて思わない。アジア人はエイリアンじゃない。

映画『ブレードランナー』、物語は追わず、SFアート映画、鑑賞物として力を抜いて楽しみたい作品。
映像的には好きだけど熱狂はしなかった。
現在、少し持ち上げられ過ぎじゃね、と思ったりします。
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<フィリップ・K・ディック原作映画>
トータル・リコール (1990)
スクリーマーズ (1995)
クローン (2001)
マイノリティ・リポート (2002)
ペイチェック 消された記憶 (2003)
スキャナー・ダークリー (2006)
NEXT -ネクスト- (2007)
アジャストメント (2011)
トータル・リコール (2012)

 「バルジョーでいこう!」(1992)は未見
2017.10.27 Friday | 00:37 | 映画 | comments(0) | trackbacks(0) |

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